日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

国境の町のこと―サムツェ編―

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター講師 平山雄大

ブータン南西部のインドとの国境に、サムツェという町があります。ブータンで最もインド/ネパールの文化的影響が強く、人口密度が高く、米の生産量が多い地域のひとつです。サムツェへはブータン国内の自動車道路が繋がっておらず、これまでは(例えばプンツォリンから)一度出国してインドの幹線道路を使って向かうか、アモ・チュ(川)にかかるつり橋までプンツォリンから車で向かい、歩いてつり橋を越え、そこから(事前にサムツェから呼んでおいた)車に乗り換えて目指す必要がありました。

インドの幹線道路を使用すると、プンツォリン=サムツェ間は車で2~3時間ほど。道の両脇には茶畑が広がっており、インドの国営企業アンドリュー・ユール(Andrew Yule and Company Ltd.)が所有する茶畑・茶工場等が目に入ります。国境のインド側にはチャマルチという小さな町があり、国境には小さなブータン式ゲートが設置されています。

プンツォリンからサムツェへ向かう道(インド国内)。見渡す限りの茶畑

インドの国営企業アンドリュー・ユールの茶工場

チャマルチで開かれていた大道芸

サムツェの国境ゲート

退役軍人の福利厚生の充実を目指して立ち上げられた陸軍福祉プロジェクト(Army Welfare Project: AWP)※1の酒造工場をはじめとした各種工場やブータン初の教員養成機関(現・王立ブータン大学サムツェ教育カレッジ)なんかもあり、サムツェは近代ブータンを支える非常に重要な地です。ネパール系ブータン人が多く住んでおり、市内には大きめのヒンドゥー寺院もあります。第4代国王・第5代国王が参列した2018年12月17日の建国記念日(ナショナルデー)の式典に合わせて、広場は一面人工芝に整備されました。

南国感漂うサムツェの市場

市場にあるパン屋さん「カムスム・ワンディ・ベーカリー」

教員養成機関がサムツェの地に開かれたのは、今から約50年前の1968年5月29日のことです。ここでは主に中等教員の養成が行われており、最新の統計によるとサムツェ教育カレッジの学生数は1,159名(男子549 名、女子610名)、教員数は44名(男性34名、女性10名)※2。教員になるために、他のカレッジを卒業してから1年間の教員養成課程を受講しに来る学生も近年は増えています。

王立ブータン大学サムツェ教育カレッジの正門

王立ブータン大学サムツェ教育カレッジのキャンパス

学校教育の歴史を紐解くと、サムツェでは、ブータン政府が学校建設を開始する以前からネパール系の移民によって寺子屋式の私立学校が運営されていました。例えば、1947年にチャガレイ地区(現サンガ・チョリン地区)の名士ナル・バハドゥール・プラダン(Nar Bahadur Pradhan)が家の一部屋を教室として開放し、住民に請われるかたちでインドからライ(C. M. Rai)という教員が赴任しています。また、1951年にはナイニタル地区(現ウゲンツェ地区)で住民による学校建設がなされ、元裁判官のタパ(B. K. Thapa)が住民からの要請を受け教員となりました。他にも1954年、1955年、1958年に各地区の住民によって学校建設が行われています。1955年に作られた学校の初代校長はインド・西ベンガル州カリンポン出身のツォ・ツェリン・レプチャ(Tsho Tshering Lepcha)で、授業はネパール語を主な教授言語とし、ヒンディー語を学ぶ時間もあったようです。※3

また、1957年には第3代国王の命により109人の生徒を擁する公立学校(現・サムツェ小中学校)が設立されました。1958年にチェンマリ地区(現ノルブガン地区)において生徒25名という小規模で始まった私立学校は、その後政府が改修の費用を負担し、1964年に生徒300名を擁するチェンマリ小学校(現・ノルブガン・セントラルスクール)として開校しています。※4

1957年に設立されたサムツェ小中学校

「SAMTSE」と装飾されているサムツェ小中学校の門

サムツェには「ロクプ」(「ロプ」、「ドヤ」等とも言います)という先住民がおり、県南東部のタバ村・ダムテ村やジグメ村・シンゲ村・ワンチュク村(村の名前は第4代国王のお名前から!)はロクプの村として知られています。王室系NGOタラヤナ財団(Tarayana Foundation)※5の支援のもと、いくつかのロクプの村では伝統的なカルダモン栽培の他に紙作り等も行われています。ロクプの伝統衣装は白い布ですが、村の幼稚園では週1回、皆でその伝統衣装を着用することになっているのだとか。

学校の冬休み中に、ガサ県までアルバイトに来ていたロクプの少年たち

9年3ヵ月に及んだ大工事の末、全長175メートルの自動車用の橋がアモ・チュにかけられ、2018年7月14日に運用が開始されました。ブータン国内の自動車道路が繋がり=ブータン国内から車で往復できるようになり、これからサムツェを巡る状況は新たな展開を見せていくことでしょう。

※1 https://www.gembototashi.com/
※2 Policy and Planning Division, Ministry of Education (MoE) (2018) Annual Education Statistics 2018, Thimphu: MoE, p.22.
※3 平山雄大(2013)「1940~1950年代のブータンにおける近代学校の類型とその対照的特徴」日本国際教育学会『国際教育』第19号、42-59頁。
※4 同上。
※5 https://www.tarayanafoundation.org/

WAVOCブータンコラム「平山雄大のブータンつれづれ(第34回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2019/05/09/4584/