日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

続・『ブータン 山の教室』の3つの場面から考えるルナナの実状

日本ブータン友好協会理事 平山 雄大

前回の会報(第154号)で、映画『ブータン 山の教室』(原題Lunana: A Yak in the Classroom)に出てくる場面を3点切り取り、ガサ県ルナナ郡の今に迫りました。具体的には(1)村人の登場シーンから「モノの流入」を、(2)ペム・サムの歌唱シーンから「情報の流入」を、(3)おばあちゃんの直訴シーンから「教育の問題」を考えてみました。あくまでフィクションであるという映画からも、何かしら現地の実状を垣間見ることはできるはず……という想いをもとに、今回は別の場面を3つ取り上げます。

1. 村に関する説明シーン(冬虫夏草ビジネス)

1つ目は、村に到着した主人公ウゲンに、出迎えたアジャが「村の仕事はヤク飼いや冬虫夏草を集めることですが、学問があれば別の道もある」と話すシーンです。ヤクが映画の重要なテーマとなる一方、冬虫夏草に関しては映画内でその後まったく触れられませんが、ブータン政府によるルナナ郡の説明に「人々の生業は冬虫夏草の収穫と畜産物生産に完全に依存している」(ガサ県のウェブサイト ※1)とある通り、また、ルナナ郡の郡長(Gup)が「冬虫夏草はルナップ(筆者注:ルナナの人々)唯一の生計手段」(The Bhutaneseの記事 ※2)と発言している通り、冬虫夏草はルナナを語るうえで外せないものです。

つい先日も、ワンデュ・ポダン県のセプで開かれた公開オークションで、1kgの冬虫夏草に280万ヌルタム(約480万円)の値がついたというニュースがありました。何でも、今年は特にルナナ産の冬虫夏草の質が良く、今後も落札価格を更新する可能性が高いとか。ただ、ルナップの立ち位置を大きく変えたこの「ヒマラヤのゴールドラッシュ」の未来を案じる声もあります。職業選択肢を増やすという教育の役割に期待するアジャも、それを危惧しているのかもしれません。

ちなみに、冬虫夏草の収穫は登録・許可制で、ルナナでは1世帯あたり最大3人まで登録できるそうです。隣接するワンデュ・ポダン県のダンチュ郡及びセプ郡から、約300人がルナナに来て違法採取を行っているとの報道もあります。収穫された冬虫夏草はブータン国内でも蒸留酒アラに入れる等して消費されますが、その多くは中国やベトナムに輸出されます。

余談ですが、2020年に公開された『Bhutan: Change Comes to the Himalayan Happy Kingdom』というドイチェ・ヴェレ制作のドキュメンタリーに、(ルナナ郡のお隣り)ラヤ郡における冬虫夏草の採取シーンが収められていて、一見の価値があります。

2. ペム・ザムのお父さん酔いつぶれシーン(アルコール問題)

2つ目は、少女ペム・ザムのお父さんが、昼間から酔いつぶれ仏塔脇で寝転がっているシーンです。通りかかったミチェンが叩き起こそうとしますが、まったく目覚める気配がありません。

アルコール依存症をはじめとしたアルコール関連の問題はブータンでは根深く、ある調査によると「東部では回答者の58%以上がアルコール依存症であることが判明した」、「首都ティンプーでは、過去1年間にアルコール飲料を摂取したことのある成人の36.4%のうち10.5%が暴飲暴食をしていた」、「農村部では、各家庭で収穫される穀物の50%もが毎年アルコール醸造に使用されている」(KUENSELの記事 ※3)そうです。アルコールが原因の自動車事故、死亡事故、傷害事件、家庭内暴力事件等は数多く報告されていますし、国内にはアルコール依存者(及び薬物依存者)を対象とするリハビリ施設もあります。

ルナナの状況を詳しく知らないまま勝手に想像しますが、麦を原料とした自家製のお酒は多く作られているでしょうし、「僻地」の割には外からも多くのお酒が入ってきているはずです。映画の中に“スーパーストロングビール”DRUK 11000(アルコール度数はやや高めの8%)の空きビンが数多く写り込んでいるシーンがありましたが、お酒へのアクセスは、他の場所と同様にオープンで容易なのだと思います。

ペム・ザムのお父さんがお酒に溺れてしまった原因は何でしょうか。それを推察することは難しくまた「正解」はありませんが、冬虫夏草ビジネスを通したルナナの急速な社会経済変化がその一因かもしれません。これは別の場所の例ですが、冬虫夏草で成した財をギャンブルですってしまい、それどころか多額の借金まで抱えてしまった……という話も聞いたことがあります。

3. ミチェンが奥さんから罵倒されるシーン(女性の強さ)

「先生をお連れするなら先に言ってよ」、「体は大きいけど頭はからっぽ」。ヤクの糞の活用の仕方を伝授するためにウゲンを家に招いたミチェンに対する、彼の奥さんの一言。最後はこのシーンを取り上げたいと思います。

奥さんは「ツァーゲ!」(バカヤロー)とミチェンを罵倒していて、いや何もそこまで言わなくても……と彼に同情しつつ、この映画内で1、2を争うリアルなやり取り(?)に何だかほっこりしてしまいます。私が2020年2月にプナカでお話を伺ったルナップのお姉さまがた(旦那さんを残してヘリコプターでルナナに来ている)も一様に強そうなオーラを放っていましたが、一般的にブータンの女性は強く逞しく朗らかで、「夫が妻の尻に敷かれている率」は限りなく100%に近いです。

1774~1775年にブータンを訪問したジョージ・ボーグルが出会った女性たちも、一様に明朗快活な人たちだったようです。ボーグルは報告書の中で、彼女たちが強い酒を飲むこと、性に奔放であること、夫の死によって悲惨な思いをすることなく再婚も自由であること等を指摘し、イギリスやインドとの状況の違いに驚いています。1958年にブータンを訪れた中尾佐助は著書の中で、「私の前に少しも恥ずかしがらずに出てきて、どんどん話をする」、「もし英語がかたことでも話せる女は、愛嬌たっぷりにその英語を使う」、「仕事の話も男より女と相談したほうが確かな時が多い」、「頼みごとや約束でもたいてい女のほうが信頼がおける」と、物怖じせず、頼りになる強い女性像を紹介しています。そして、彼女らへの信頼は女性の地位の高さを示すものだと考察しています。

その要因のひとつに、主に中部・西部に根づく母系制社会の慣習が挙げられるかもしれません。土地や家屋といった財産を女性が相続するため、妻には財力や発言力があり、婿入りの夫は必然的に立場が弱いというわけです。これまた詳しくないまま想像しますが、ルナナもその例に漏れず……という感じでしょうか。罵倒されたミチェンがまったく意に介していない様子も、その後若干照れ気味の(ように見える)奥さんの様子も微笑ましいです。

『ブータン 山の教室』はすでにDVDとブルーレイが発売されていますが、8月21(日)には東京の神保町にあるブックハウスカフェ(会場:2階ギャラリー「ひふみ座」)にて全3回の上映会が行われます。また、9月23日(金・祝)には第44回ぎふアジア映画祭(会場:岐阜市文化センター小劇場)にて上映されます。すでに何度も見たというかたもまだのかたも、これを機会に(改めて)ご覧になってみてはいかがでしょう。

※1 http://www.gasa.gov.bt/gewogs/lunana/

※2 https://thebhutanese.bt/understanding-what-happened-at-lunana/

※3 https://kuenselonline.com/bhutan-and-alcohol/

※日本ブータン友好協会『日本ブータン友好協会会報 ブータン』第155号、6-7頁より転載。