日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

アイデンティティと安全保障

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教 平山雄大

ブータンをイメージした際、男性用のものは「ゴ」、女性用のものは「キラ」という民族衣装を思い浮かべるかたも多いと思います。ラヤッパ、ブロクパ、ドヤッパ等と呼称される人々には別の衣装があり、またかつては貫頭衣も着用されていましたが、一般的にブータンの民族衣装とはこの「ゴ」・「キラ」を指します。

学校の制服も民族衣装

スクール・コンサートにて、民族衣装を着て踊る生徒

ブータンでは、公の場(役所、学校、寺院、公式行事・集会等)での民族衣装の着用を国民に義務づけています。今から約30年前の1989年に国王からの勅令(カショ)というかたちで公布され、今にいたっています。

1980年代後半、ブータンではナショナル・アイデンティティの確立が急速に図られました。1987年に策定された国家開発計画では、全体目標のひとつに「ナショナル・アイデンティティの保護と促進」が掲げられ、例えば学校教育の内容も、「生徒の中に道徳的価値及び愛国心を育み、三宝(仏・法・僧)の規範(driglam choesum)を遵守し、国王と国家に奉仕するブータン市民を育成する」、「我々の子どもたちに、ブータンの文化・精神の顕著な特色及び言語的・地域的差異を横断する“単一性”(oneness)に関する正しい理解を育む」※1といった計画をもとに、「あるべきブータン人」の形成を前面に出したものに変わりました。

近代化を進めるうえでいかに自国固有の価値観や文化を保護するか、いかに他国との違いを明確にして自国の独自性を保守しながら国家開発を行うかは、これ以前よりブータンにとって非常に大きな関心事であり続けていました。国土面積4万㎢弱(九州程度)、総人口70万人ほど(島根県程度)の小国ブータンは、これまで「秘境」、「桃源郷」、「ヒマラヤの楽園」、「世界一幸せな国」等のキャッチコピーを付して語られてきましたが、その歴史はこれらのキャッチコピーから想像されるような長閑で平穏なものではなく、国家存続をかけた苦難の連続でした。とりわけ、中国とインドという国土面積・総人口ともに世界有数の規模を誇る2大国に挟まれ、同じチベット仏教国でありかつ最も繋がりの強かった2つの隣国、チベットが中国の侵攻を受けた結果中国のチベット自治区となり、シッキム王国が併合されインドのシッキム州となっていく20世紀半ば以降の脅威は並大抵のものではなかったと想像されます。

インド・シッキム州の州都ガントク(かつてのシッキム王国の首都)

つまりブータンにおいては、固有の価値観・文化を保護しナショナル・アイデンティティを確立することは、国家主権を維持し独立を保つための武器として絶対的に必要なものだったのです。こうした社会状況に、1980年代あたりより顕著になった外国人(主にインド人)労働者への依存やネパール系非国籍取得者の問題が付加された結果、「ナショナル・アイデンティティの保護・促進」が掲げられ、教育内容の改革や公の場での民族衣装の着用義務化をはじめとした様々な取り組みがなされたのでしょう。

今も昔も、建設業の主役は外国人労働者

ナショナル・アイデンティティの確立や国家の安全保障という観点は、ブータンの諸事象を考察するうえでなくてはならないものです。ブータンが国家開発目標とし、達成のための4本の柱のひとつに「文化の保護と振興」を掲げるGNH(Gross National Happiness、国民総幸福)の考えも、深く知るためには上記の観点が必要不可欠だと思います。

※1 Planning Commission, Royal Government of Bhutan (RGoB) (1987) Sixth Five Year Plan 1987-92, Thimphu: RGoB, p.39.

WAVOCブータンコラム「助教 平山のブータンつれづれ(第10回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2017/10/25/2962/