日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

1930年代前半のブータン社会

平山 雄大

本分科会の根底にある試みは、「中尾佐助以前」のブータンを知ることです。中尾先生、桑原先生をはじめとした友好協会の偉大な先輩がたによる著書は現在もブータンに関わる者にとって必読の書であり続けており、それぞれの時期のブータンを今に伝えています。また、1950年代以降のブータンについては写真や映像も一定数存在し、国会議事録(1953年~)、5ヵ年計画(1961年~)、新聞「クエンセル」(1967年~)等を通しても当時の社会状況に思いを馳せることが可能です。しかし一方で、1950年代以前=「近代化の父」第3代国王治世以前に関しては、ブータンをフィールドにする研究者、さらにはブータン人であっても多くを知らず、細部を想像したくてもなかなかできないのが実状と言えましょう。

今回の分科会では、今から約80年前の1930年代前半のブータンに着目しました。当時英領インドのシッキム政務官を務めていたフレデリック・ウィリアムソンが残した貴重な写真及び映像、その妻マーガレット・ウィリアムソンが記した著書等をもとに、第2代国王の治世であった当時のブータン社会の諸相を、シッキム及びチベットとの比較もふまえて客観的に考察することを目指しました。映像の中で主に取り上げたのは、ウィリアムソン夫妻の1933年及び1934年のシッキム・ブータン・チベット周遊を記録したもの、1934年末から1935年初めにかけての第2代国王のインド(カルカッタ)・シッキム(ガントク)訪問時のものです。ロイヤル・ファミリーやドルジ家の方々の服装や趣味、ゴ・キラの着用方法の現在との相違点、弓矢や舞踊の形式、ハの学校の生徒の様子、焼失前のドゥゲ・ゾン、ブータン国内の移動方法等、話題は多方面に及びました。

※日本ブータン友好協会『日本ブータン友好協会会報 ブータン』第121号、9-10頁より転載。

※2013年12月15日(土)に開催された、日本ブータン友好協会主催「第2回ブータンシンポジウム」の分科会Cの報告です。