日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS
GNHの誕生
ブータンの枕詞とも言える「GNH(国民総幸福)」という理念は、1976年12月にスリランカのコロンボにおいて開催された第5回非同盟諸国会議出席後の記者会見の席上、当時21歳だった4代国王によって初めて語られた、というのが日本では定説化しつつある。また、当時の状況として、「このときの発言が一躍GNHと共にブータン王国を世界の舞台に登場させた」「このときの発言は、驚きと共に世界中に報道された」「以来、国造りの柱になっている」等という説明が付されることが多い。しかし、事実関係を確認していくと、これらの説にはいくつかの不審点がある。
まず、日時の問題だ。そもそも第5回非同盟諸国会議が開催されたのは1976年8月であって、12月ではない。単純な取り違えの可能性もあるが、この1976年8月の国王発言について報道をしている外国メディアが見つからない。自国のクエンセル紙は国際会議に出席した国王の行動や発言内容を詳細に追っているがそこにも記者会見を行ったという記録やGNH関連の情報はない。しかも、どうやら「1976年説」は日本だけの現象らしい。
4代国王によってGNHが初めて対外的に発信されたのは、「1979年9月にキューバのハバナにおいて開催された第6回非同盟諸国会議出席後、帰路、ボンベイの空港での記者会見において」というのが真相のようだ。その発言内容について、ダショー・キンレイ・ドルジがネパールの月刊誌『Himāl Southasian』2008年8月号に寄稿している。
インド人記者:「我々はブータンについて何も知りません。GNPはどの程度ですか?」
第4代国王:「我々はGNPを信じていない。GNHのほうがもっと重要だからね」
国王会見に予習なしで臨むインド人記者の質問もどうかと思うが、国王の態度もGNHというすばらしい概念を広く世界に向けて発信しようと意気込んでいるようには思えない。当時のブータンは国家経営の指標としてGNPを利用できるような状態ではなかった。答えに窮した国王が、日頃の政治哲学を反映した見事なウィットで切り返して記者を煙に巻いた、というのが真相ではないだろうか。
GNHの誕生時期については別の説もある。1972年説は4代国王の即位に、1974年説は戴冠に結びつけている。既にこの時期には基本的なアイディアはあったと思われるが、「GNH」という言葉自体はまだ生まれてなかったのは確実だろう。「戴冠式の演説内で~」と見てきたように書いているものもあるが、演説原稿を確認すれば、そのような発言はなかったことがわかる。
GNH誕生にまつわるもう1つの謎は国際社会の反応だ。当時の海外メディアの報道を確認してみると、1979年の時点では国王のGNH発言はまったく注目されていない。国際的認知を得たきっかけは、1987年5月2日付フィナンシャル・タイムズのジョン・エリオット記者の記事、「Modern Path to Enlightenment」だろう。この記事を追うように、日本でも毎日新聞(1988年2月15日)や読売新聞(1989年10月25日)がGNHの紹介記事を掲載し、1991年に刊行された『地球の歩き方FRONTEER』が、日本の書籍としては初めてGNHを取り上げた。
他の多くの開発途上国と同様、ブータン政府は国民の基本的ニーズを満たすために日々奮闘しており、その中でGNHという「国家開発目標」に試行錯誤しながら取り組んでいる。ブータンはGNHの最大化を既に成し遂げた国ではない。そればかりか、GNHという概念自体、最初から完成されたものが存在したわけではなく、時代と共に進化してきたのだ。本稿が、そんなGNHの歩みを知るための一助となれば幸いである。
(早稲田大学 平山 雄大)
※『地球の歩き方D31 ブータン(2014~2015年版)』287頁より転載。