日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

近代学校教育の現状(後半)

平山 雄大
早稲田大学教育・総合科学学術院教育総合研究所 助手

前号(第57号)の続きです。

4. 教育統計データ

教育省による最新の教育統計によると、ブータンの初等教育(PP~第6学年)の総就学率(注1)は116%、純就学率(注2)は96%です。また、前期中等教育と中期中等教育を併せたもの(第7学年~第10学年)の総就学率は90%、純就学率は86%、後期中等教育(第11学年~第12学年)の総就学率は55%、純就学率は23%となっています。ブータンの統計数値をどこまで信用して良いかという問題は常に付きまといますが、第10学年までの学校教育はブータン社会の中でかなり一般的になっていると言うことができると思います。一方で第11学年以上に進学する者は、私立学校の増大によって近年急増しているものの、第10学年までと比べると限られています。これが高等教育になると、総就学率は18%(国外での就学者=留学生も含めた場合は25%)となります。

ちなみに、初等教育から前期中等教育(第6学年から第7学年)への進学率が93%、前期中等教育から中期中等教育(第8学年から第9学年)への進学率が約91%であるのに比べ、中期中等教育から後期中等教育(第10学年から第11学年)への進学率は約74%に留まっています。ここからも、第10学年と第11学年の間にはある種の壁が存在し、第10学年修了後の全国統一試験が選別の要素を強く持っていることが分かります。

男女比は後期中等教育まではほぼ1対1ですが、高等教育段階になると女子の割合が少なくなり、1対0.7という数値が提出されています。

同じく最新の教育統計によると、15歳以上の識字率は55%(男性66%、女性45%)となっています。若年層(15~24歳)に限ると識字率は86%(男性90%、女性82%)まで上昇しますが、これは近年の学校教育の量的拡大の影響と言えるでしょう。

多くの国と同様に、ブータンの学校教育にも留年や中退といった問題が存在します。前号に、PPの段階から学年末の試験に落ちた場合は落第(=留年)するということを書きましたが、図1の通り一定数の生徒が毎年留年をしています。留年した場合は同じ学年をもう一度繰り返すことになりますが、ブータンでは同学年における留年は最大2回までしか許されておらず、万が一3回目の留年が確定した場合は学校を去らなければなりません(ただし、その後他の学校に転校することは可)。

また、図2は初等教育各学年の中退率を表したものですが、こちらも各学年一定数の中退者が存在していることが見て取れます。中退の理由はさまざまですが、僧侶・尼僧になるために自主的に学校(近代学校)を辞め、僧院学校に通い始めるといった者も少なからず存在します。

5. 教科書

学校の教授言語が基本的に英語であるブータンにおいて、一部例外を除き、使用されている教科書は英語で書かれています。英語を用いた教授は、英語が流暢に操れるようになるという利点はもちろんありますが、国語であるゾンカの読み書きが苦手な者を多く輩出する結果を生んでおり、対策が議論され続けています。

教科書は貸与方式です。生徒は新学期に教科書一式を学校から借り受け、1年経ったら返却します。表紙にカバーをかけて丁寧に使っているように見えますが、実際は結構書き込みがしてあったり、折れ曲がっているようなものも見受けられます。

個人的に、外国人が読んで一番面白いと思うものは歴史(ブータン史)の教科書です。ブータンの歴史に関する著作は限られているので入門書としても有用ですし、チベット仏教史が占める割合が多いこと、歴代国王の治世ごとの章立てになっていることをはじめ、特有の作りになっていて興味深いです。「当時のブータンと近隣諸国の概略図に、グル・リンポチェが2度の来訪でたどった行程を線で示しなさい。」、「シャブドゥンのブータン到着以前の記述を注意深く読み、5~6人のグループで17世紀におけるチベット情勢がどのように終局したと思うか話し合いなさい。」、「自分は15歳のウゲン・ワンチュクで、前プナカ・ゾンペンによって捕らえられたとき友人であるプンツォ・ドルジと一緒にいたものと想定しなさい。どのように捕らえられ、パロのタ・ゾンにおいてどのような状況下におかれているかを説明する手紙を父君に宛てて書きなさい。」といった教科書内に掲載されている課題を追うだけでも新鮮で面白いです。ちなみに、第6学年、第7学年、第8学年の歴史教科書は日本語訳(注3)も出版されています。

前々号(第56号)で取り上げたブータンにおける近代学校教育の導入に関しても、黎明期に設立されたハの学校がワンチュク・ロゾン(Wangchuck Lhodzong)=ハ・ゾン内にあったこと、ブムタンの学校の所在地がティンレイ・ラプテン(Thinley Rabten)(初代国王がアジ・ツェンドゥ・ラモのために建てた邸宅/第2代国王の生誕地?)であったこと等が歴史教科書に記されており、貴重な資料となっています。

一方で、改訂がなされず昔のままの教科書が使われている、内容の偏りがあったり細部が間違っていたりする、実質的にインドの教科書のコピーでブータンの実状に合っていないといった問題も一部では慢性的に抱えており、改善が望まれています。

6. 試験問題

最後に、試験問題からブータンの学校教育内容の一端を垣間見てみたいと思います。手元にある第6学年修了時の全国統一試験(2009年及び2010年)社会科から問題を抜粋してみます。

(1) 選択問題

① 我々の文化について間違っているものは次のうちどれか。
A 我々はアーチェリーをします。
B 我々は祈ります。
C 我々は年長者を敬います。
D 我々は両親に悪態をつきます。

② アショーカ王の行為で正しいものは次のうちどれか。
A 彼はブータンを訪れた。
B 彼はガヤーで瞑想した。
C 彼は仏教を迫害した。
D 彼は息子と娘を仏教普及のために各地へ派遣した。

③ 子供の役割・責任ではないものは次のうちどれか。
A 弟・妹の世話をする。
B 両親に感謝をする。
C 両親に従わない。
D 年長者を敬う。

④ 「死後、私はぺマ・ジュンネとしてウゲン国に生まれ変わるであろう」という予言を残した人物は誰か。
A パジョ・ドゥゴム・シクポ
B グル・リンポチェ
C 仏陀
D アショーカ王

⑤ グル・リンポチェはブータンを2度訪れているが、最初の訪問は西暦何年か。
A 646年
B 764年
C 746年
D 664年

⑥ ブータンには水輸送システムが存在しない。なぜなら…
A 河川が広く浅い谷を流れているから。
B 河川が狭く深い谷を流れているから。
C 我々は十分な道路を有しているから。
D 我々はボートが好きではないから。

⑦ トンサとブムタンの間の峠の名称は何か。
A ペレ・ラ
B ドチュ・ラ
C ヨトン・ラ
D トゥムシン・ラ

⑧ パジョ・ドゥゴム・シクポがブータンを訪れたのは西暦何年か。
A 1148年
B 1184年
C 1222年
D 1223年

⑨ 経済活動ではないものは次のうちどれか。
A 運転手がタクシーを運転する。
B 生徒がサッカーをする。
C 教師がクラスで授業をする。
D 役人が事務所で仕事をする。

⑩ 2008年が閏年だった場合、次の閏年はいつか。
A 2018年
B 2010年
C 2014年
D 2012年

⑪ グリニッジが午前0時のとき、西経30度の地点に位置する都市は何時か。
A 午前10時
B 午後10時
C 午後2時
D 午前2時

⑫ 環境保全について正しくないものは次のうちどれか。
A 木を伐採する。
B 植樹をする。
C 森林火災を防止する。
D ごみ箱に紙を捨てる。

⑬ 拡大家族の構成員として正しいものは次のうちどれか。
A 父、母、おじ、おば、従兄弟、祖父母
B 父、母、兄弟、姉妹
C 祖父、祖母
D おじ、おば

⑭ 我が国の国土面積は次のうちどれか。(注4)
A 4万6,500平方キロ
B 4万7,000平方キロ
C 4万7,500平方キロ
D 4万8,000平方キロ

⑮ 儀式についての説明で正しくないものは次のうちどれか。
A それは崇拝の一種である。
B 儀式にはたくさんの種類が存在する。
C それは幸運をもたらすために行われる。
D すべての儀式は同じ方法で行われる。

(2) 記述問題

① 人はなぜ旅をするのか。理由を2つ挙げなさい。

② 「コミュニケーション」とは何か。

③ 自転の影響を3つ挙げなさい。

④ 我々の文化を生かし続けるにはどうすれば良いか。方法を2つ挙げなさい。

⑤ なぜ我々には言語が必要なのか。理由を3つ挙げなさい。

⑥ 仏陀が悟りを開いた場所はどこか?

⑦ なぜ2つの半球の季節は反対なのか。

⑧ グル・リンポチェの別名を書きなさい。

⑨ 我が国を南から北に移動すると気温が低くなるのはなぜか。

⑩ 「歴史」とは何を意味するのか。

⑪ 旧石器時代と新石器時代の相違点を4つ挙げなさい。

⑫ 「正しい生き方」の例を2つ挙げなさい。

⑬ 「テルトン」を説明し、その例を挙げなさい。

⑭ 仏陀の教えを3つ挙げなさい。

⑮ ブータンの産業を2つ挙げなさい。

以上、選択問題と記述問題各15問を挙げてみましたが、社会科であっても道徳的・哲学的内容を含んだ問題が多いこと、環境保全や文化の保護・振興といったブータンの開発政策で重要視しているものに関連した問題があること、そしてやはり年号の暗記も重要であること(ブータンの学校教育は「暗記重視」という一面も有しています)等が分かるかと思います。日本とブータンそれぞれの学校の教育内容を詳しく比較していくと、他にも興味深い事実がたくさん浮かび上がってきそうです。

全3回に渡り、ブータンの近代学校教育について書かせていただきました。まだまだ書き足りないですが、紙面の都合上ここで一度筆を置かせていただきたいと思います。今回は取り上げることができなかった僧院教育について、またより細かい教育の歴史について等、いずれまた別の機会にお話させていただけましたら幸いです。どうもありがとうございました。

  • (注1)就学年齢相当人口の総数に対する、年齢を問わないすべての就学者数の割合。留年や入学の遅延・前倒し等によって発生する学齢外の就学者を含めるため、100%を超えることがあります。
  • (注2)就学年齢相当人口の総数に対する、本来対象とされる年齢の就学者数の割合。純就学率と違い、100%を超えることはありません。
  • (注3)ブータン王国教育省教育部編/平山修一監訳/大久保ひとみ訳(2008)『ブータンの歴史―ブータン・小・中学校歴史教科書―』明石書店。
  • (注4)改訂後の国土面積(3万8,394平方キロ)が選択肢になく、この問題には前述の「改訂がなされず昔のままの教科書が使われている」弊害が現れていると指摘できます。

※ヤクランド『ヤクランド通信』第58号、2-5頁より転載。