日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

ブムタンから現代ブータンを考える

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター講師 平山雄大

ブータンには20の県がありますが、「どこが一番好き?」と問われて、私は多少悩んだふりをしつつ結局は「もちろんブムタン!」と答えてしまいます。

チュメ、チョコル、タン、ウラという4つの谷からなるブムタンは、ブータン中部にある畑作地帯です。歴史的な寺院や王室関係の建物が多く宗教的・文化的にも見どころ豊富で、「ブータンらしいブータンが、そこにはある」と言って差し支えなさそうな場所です。私は2006年に初めて訪れて以来、そこに暮らす多くの人との出会いを通して(中でも特にチョコル谷には)強い思い入れがあり、いつも再訪の機会を窺っています。

ブムタンのジャカル・ゾン(県庁兼僧院)。

チョコル谷と商店街。

国内線に乗れば、(国際空港がある)パロから片道20分ほど。

ジャンパ・ラカン(後述)で祈るおじちゃん&おばちゃん。

チョコル谷にある学校の朝礼風景。

ピンクのソバの花。ブムタンにはソバ畑がたくさんあります。

そんなブムタン(チョコル谷)を主な舞台とするドキュメンタリーが、今年8月から日本各地で公開されています。ブータン人のアルム・バッタライ(Arun Bhattarai)氏とハンガリー人のドロッチャ・ズルボー(Dorottya Zurbó)氏が監督を務めた『ゲンボとタシの夢見るブータン』(原題The Next Guardian)※1という、チョコル谷にある古刹チャカル・ラカン(ラカン=寺院)の家族―特に長男ゲンボと長女タシ―に焦点を当てた物語です。

チャカル・ラカンは、そのルーツを「鉄(チャク)の城(カル)」が築かれたという8世紀初頭にまでたどることができます。高僧ドルジ・リンパによって城の跡地に寺院が建立されたのは15世紀のことと伝えられており、以後代々、ドルジ・リンパの子孫(ゲンボとタシの一族)から選ばれた者が「チャカル・ラマ」の称号とともに寺を相続してきました。2017年には寺院の1階部分が民俗博物館として一般公開され、2018年には隣接する一族の家の一部が外国人向け民泊サイトになる等、新たな取り組みが次々に行われている「ホットなお寺」です。

チャカル・ラカン全景

このドキュメンタリーは、現在のブータンの一側面を知るうえで非常に良い教材となっています。主要テーマはこの寺院の後継者問題なのですが、近代学校教育の拡充により若者の人生の選択肢が増え、さらにテレビ放送やインターネットの普及※2を通して急速に多様な価値観が育まれている現在のブータンで、これは起こるべくして起こった問題と言えましょう。物語の終盤で、僧院学校の先生が「今どき僧になりたがる人はいません」「自分の将来は自分で考えるようになりました」「子どもたちが抱く夢や希望も昔とは違うのでしょう」と少々寂しそうに語っていますが、農業従事者の減少等、類似した後継者問題はチャカル・ラカン周辺の農家をはじめブータン全土で生まれています。

「何よりも大切なのは我々の文化を守ることだ」と一刻も早くゲンボを僧院学校に入学させ僧になるための修業をさせたい父親(=チャカル・ラマ)と、「外国人に英語でお寺の説明ができないと困るわ」と英語教育の重要性※3を説く母親の意見の相違の中にも、ブータンにおける伝統と近代を巡る葛藤が垣間見られます。伝統と近代は、保守と革新と言い換えても良いかもしれません。上記の民俗博物館化・民泊サイト化は母親側(母親及びその姉妹たち)=革新派の意向に父親が逆らえずに折れた結果なのだ……と私は勝手に推察していますが、これは(特に家では)女性が圧倒的に強い、もしくは母系制のブータンを端的に表した出来事ではないでしょうか。ずばり、チャカル・ラマといえども奥さんにはかなわない!

2018年8月にチャカル・ラカンを訪れた早稲田の学生たち。

チャカル・ラカンのすぐ近くには、ブータン国内最古の寺院のひとつで、7世紀前半に建てられたと伝わるジャンパ・ラカンがあります。そこでは毎年秋にジャンパ・ラカン・ドゥプというお祭りが開催されていますが、チャカル・ラマとその一族は、「メワン」と呼ばれる火の輪くぐりや「テルチャム」と呼ばれる深夜の全裸舞踊があることで知られるこのお祭りの総合プロデュースを代々担っており、練習から本番の運営に至るまでのすべてを統括しています。

火の輪くぐり(厳密には輪ではないですが)。

道化師アツァラ。右手の男根像で観衆の厄払いをしながら左手にお布施の札束を握って、縦横無尽に会場を巡っています。

閻魔の舞@ジャンパ・ラカン・ドゥップ。

骸骨の舞@ジャンパ・ラカン・ドゥップ。

ジャンパ・ラカン・ドゥプはブータンを代表するお祭りのひとつであり、それを取り仕切るチャカル・ラマと一族の役割の大きさは計り知れません。地域コミュニティにおける仏教の保全という役割を超え、ブータン文化の確かな一部を形成する大役を担っていると言えるでしょう。果たしてゲンボは寺を継ぎ、その大役を果たす男となっていくのか。もしくはまったく違う道を選んでいくのか。これからも愛しのブムタンに足を運びながら、変わりゆくブータンと変わらぬブータンに触れていきたいと思います。

※1 『ゲンボとタシの夢見るブータン』公式ウェブサイト https://www.gembototashi.com/
※2 ブータンでは、テレビ放送の開始とインターネットの解禁はどちらも1999年のことです。
※3 ブータンの近代学校教育の教授言語は、一部の科目を除き英語で統一されています。

WAVOCブータンコラム「平山雄大のブータンつれづれ(第23回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2018/11/19/3882/