日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS
ドゥンサム地方―ペマガツェル→モンガル古街道紀行―
平山 雄大
早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教
『地球の歩き方 ブータン』の編集執筆を担当されている高橋洋さんの「ツァンラ文化の源流はドゥンサムにある!」というご指摘のもと、2015年3月、ブータン東部のドゥンサム地方(現在のペマガツェル県周辺)を2人で歩き回りました。メインは、ペマガツェル県とその北に位置するモンガル県を結んでいる古街道をたどり、ペマガツェル側からモンガル側まで歩いて行くという試みで、今回のティータイムでは、主にこの行程をたどりながら、そこで見たもの、お会いした人、感じたこと等を紹介したいと思います。
■ 陸路でペマガツェルへ
バンコク1泊⇒(空路)⇒インド・アッサム州の州都グワハティ1泊⇒(陸路)⇒東部の国境の町サムドゥプ・ジョンカル1泊ののち、そこから車で7時間ほどかけてペマガツェルに到着しました。ペマガツェル県はインドと国境を面しており、1990年代前半までは治安上の問題から開発が遅れ、外国人の立ち入りも禁止されていたところです。標準標高は1,000mほどで、ブータンの他の県と比べるとかなり低めです。
■ 文化交流の窓口だったドゥンサム(ペマガツェル)
ペマガツェルには、テンペ・ニマ(ブータン建国の父シャプドゥンことガワン・ナムゲルのお父さん)が建てたという伝承を持つヨンラ・ゴンパやドゥンカル・ラカン、ペマ・リンパ(高名な埋蔵法典発見者)の息子クェンガ・ワンポが建てたというケリ・ゴンパ、前首相ジグミ・Y・ティンレイの出身地であるチュンカル・ナクツァンなど、由緒ある寺院や奥深い名跡が数多く存在します。すでに地元の方々にも忘れ去られかけているラナンゾル・ゾン跡やドゥアール戦争(1864-1865年)でイギリス軍の攻撃を受けて全焼したシャリカル・ゾン跡など、ブータンの歴史を知るうえでは避けては通れない旧跡もあります。また、伝統建築の装飾に使う赤土「サツァ」の採掘現場、ジャリンやドゥンといった伝統楽器の生産で有名なツェバル村、全国でもこのあたりでしか作っていない黒砂糖菓子「ツァチィ・ブラム」で知られるツァチィ村なども点在し、歴史的・文化的に非常に重要な地域だと言えます。
20世紀後半、自動車道路がタシガン⇒サムドゥプ・ジョンカル、ブムタン⇒モンガル⇒タシガンと繋がる中で、ドゥンサム地方は「陸の孤島」のようになっていきましたが、それまではチベット=ブータン=インドを結ぶ最短距離の古街道のひとつが通っていた交通の要所であり(上記のシャリカル・ゾンが関所の役割を果たしていたようです)、隣接する東ヒマラヤ地域やアッサムとの文化交流の窓口としても機能した、文化の先進地域と言って良いところだったのではないかと考えられます。
■ 川の中を歩き、急坂を登り、旧街道をたどる
古街道を通ってモンガル側に抜けるために、とある日の午前8時に、自動車道路の終着点であるラナンゾル・ゾン跡がある丘の麓から行程をスタートさせました。午前中はひたすら沢登りです。ダンメ・チュ(川)の支流を伝って、道なき道(?)を一心不乱に進みます。対岸から対岸へ、また対岸から対岸へ、なるべく水量が少なく流れが緩やかな場所を選んで、それでも膝まで水につかりながら上流を目指しました。最初は律儀に靴と靴下を脱ぎ渡っていましたが、途中から(というか2回目から)面倒くさくなり靴を履いたままザブザブザブ…。途中すれ違ったサムドゥプ・ジョンカルへ向かうというおじさまにアラ(お酒)と蜜柑をいただきつつ、対岸から対岸へ渡ること約20回、ようやくデリ・ザム(橋)の下にたどり着きました。ここまで約4時間。
午後、今度はひたすら山登りです。一気に1,000mの高低差を駆け上がる必要があります。午後1時にダンメ・チュにかかるダンメ・チュ・ザム(橋)を渡った後はひたすら山を登り、約2時間かけてムンマ村に到着。ダンメ・チュ・ザムは、以前使われていた鉄鎖のつり橋の真横に架けられたワイヤー製のつり橋で、非常に長く渡るのに度胸がいる橋です。「ブータン最長のつり橋」と言われているプナカのミナガン・ザム(?)(←この橋、正式名称が分からず地元の人に聞いて回りましたが結論が出ず…。ご存知のかたぜひ教えてください)の次くらいの長さなのではないでしょうか。ムンマ村には近年タラヤナ財団の支援が入り、ECCDセンター(幼稚園)の開設や織物制作を通した女性の自立支援等が行われていました。
■ 東ブータンのお酒文化を思いっきり体感!
ムンマ村からモンガル側の自動車道路の終着点がある(=モンガル県の最南部である)ケンカルまでは、片道2時間の行程との由。村の皆さんは普段ひょいひょい歩いているようですが、沢登りと山登りで体力を使い果たした高橋さんと私はすでに虫の息…。ムンマ村でご馳走になったアラの酔いも回り足元もおぼつかない、という有様でした。途中途中休憩し、村のはずれの家でパラン(お酒等を入れる筒形の容器)の制作過程を見学させていただいたり、またアラを振る舞っていただいたりしながら、午後7時にようやくケンカルに到着することができました。
皆さんお気づきの通り、この日は(特に後半は)「アラで水分補給をしながら行程を進める」という状態だったわけですが、ケンカル到着後は、そのまま村の皆さんと酒盛りに突入!ブータン東部のお酒文化を思いっきり体感した一日となりました。
■ 辺境の村は文化先進地域
ケンカルは、自動車道路や現在の県区分をもとに考えるとモンガル県最南部の「辺境」ですが、ここも文化の先進地域と言って良さそうなくらいの広がりを有しています。『地球の歩き方 ブータン』の取材としてもおなかがいっぱいになるくらい、さまざまな工芸品の制作現場を見学させていただくことができました。
ちなみに、ケンカルからモンガルの町まではラフロード3時間+舗装道路2時間ほど。途中ゲルポシンの巨大ダムを経由して到着することができます。初めて訪れたモンガルの町は大都会で、ペマガツェル側から古街道を通ってのんびり来たことも影響しているのかもしれませんが、本当に驚きました。
※ヤクランド『ヤクランド通信』第80号、8-11頁より転載。