日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

「世界一幸福な国」を巡るあれやこれや(後編)

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教 平山雄大

ブータン発祥の「GNH(Gross National Happiness、国民総幸福)」という概念は、世界各国で注目を集めています。各種メディアでブータンが取り上げられる際には必ずと言って良いほど紹介され、「ブータンと言えばGNH」、「ブータンと言えば幸福な国」というイメージは非常に強いです。しかしながら、これまでGNHについて語られてきたことは必ずしも正しくはありません。

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2015年11月にブータン(パロ)で開催されたGNH国際会議

例えば日本においては、「1976年12月、スリランカのコロンボにおいて開催された第5回非同盟諸国会議出席後の記者会見にて、当時21歳だった第4代国王が“Gross National Happiness is more important than Gross National Product”と述べた」というのがGNHの対外的発信の起源とされてきましたが、調べてみると、「1979年9月、キューバのハバナにおいて開催された第6回非同盟諸国会議出席後、帰国途上に行った記者会見にて、当時24歳だった第4代国王が述べた」というのが正しいようです。そもそも第5回非同盟諸国会議がスリランカで開催されたのは1976年「8月」ですし、日本以外で上記の説が唱えられている例を私は知りません。

巷には、「第4代国王のこの発言が世界中に報道され、ブータンは一躍有名になった」という話があります。しかし、管見の限り当時世界各国で発行された新聞においてこの発言は取り上げられておらず、ブータン国内唯一の新聞であったKuenselでさえも、GNHに関してはまったく反応を示していません。当時は国内でも、第4代国王と一部の者のみがその言葉と概念を共有していたに過ぎなかったのではないでしょうか。私の知る限り、ブータンのGNHについて新聞の中で初めて言及されたのは1980年4月29日・New York Timesの記事(byマイケル・カウフマン)内、書籍の中で初めて言及されたのは1985年・Let’s Visit Bhutan(byアウン・サン・スー・チー)内、そしてGNHが国際的認知を得たのは、1987年5月2日・Financial Timesの週末版Weekend FTに掲載された記事(byジョン・エリオット)によってです。

「GNHは、もう何十年も前からブータンの国づくりの柱になっている」という話もよく目にします。しかしブータンの国家開発計画を読み解くと、「GNHの最大化」が国家開発目標に位置づけられたのは2002年に制定された第9次5ヵ年計画においてです。GNHの4本の柱(持続可能で公正な社会経済開発、文化の保護と振興、環境の保全と持続可能な利用・管理、良い統治の振興)や指標が制定され、憲法に「国家はGNHの追求を可能とする諸条件を促進させることに努めなければならない」と規定され、GNH調査が実施され…という、国づくりの前面/全面にGNHが絡む状況が見られるようになったのはそれ以降の話です。決して何十年もの歴史を有しているわけではないのです。

GNHの歴史を調べていくと新たな発見や驚きの事実が溢れ出てきて、抜け出せなくなりそうです。それが研究の醍醐味でもあるわけですが、私はGNH研究を専門とする人間ではないので、このへんで区切りをつけたいと思います。興味関心のあるかたは、こちらの論文もご覧ください。

平山雄大「GNH「誕生」を巡る基礎的文献研究」日本GNH学会『GNH(国民総幸福度)研究』第3号、9-35頁、2016年3月。

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「GNH Express」と名付けられた、ブータンポストのブータン=インド(コルカタ)往復バス

WAVOCブータンコラム「助教 平山のブータンつれづれ(第6回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2017/04/26/2673/