日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

古街道をゆく(後編)

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教 平山雄大

ブータン東部のペマガツェル県からモンガル県まで、古街道を使った徒歩移動。朝早く自動車道路の終着点を出発し、ダンメ・チュ(川)の支流を伝い4時間かけてデリ・ザム(橋)の下にたどり着きました。

午前中の沢登りとは打って変わり午後はひたすら山登りで、一気に1,000mの高低差を駆け上がる必要があります。デリ・ザムを渡り、さらに県境に位置するダンメチュ・ザム(橋)を渡った後はひたすら上り坂をテクテクテク…。ちなみにこの県境、鉄鎖のつり橋と新しく架けられたワイヤー製のつり橋が並んで設置されています。旧つり橋のほうは老朽化が激しく、さすがに怖くて渡れません。

新つり橋(左)と旧つり橋(右)

旧つり橋。ザ・老朽化!

午後3時、モンガル県ケンカル郡南部に位置するムンマ村に到着。モンガル側の自動車道路の終着点であるケンカル中心部までは、ここから片道2時間の行程との由。村の皆さんはいつもひょいひょい歩いているようですが、沢登りと山登りで体力を使い果たした私はすでに虫の息…。ムンマ村でご馳走になったアラ(お酒)の酔いも回り足元もおぼつかない、という有様。途中途中休憩し、とあるお宅でパラン(お酒等を入れる筒形の容器)の制作過程を見学させていただいたり、またそこでもアラを振る舞っていただいたりしながら、すっかり辺りが暗くなった午後7時過ぎにようやく到着することができました。

この日は終始「アラで水分補給をしながら行程を進める」(水はないけど酒はある!)という状態でしたが、ケンカル中心部到着後は、そのまま村の皆さんと酒盛りに突入!ブータン東部のお酒文化&おもてなし文化を肌で感じた一日となりました。

ムンマ村のECCDセンターの子どもたち

ムンマ村からケンカル中心部までの道のり

ケンカルの景色

ケンカルは、自動車道路や現在の県区分をもとに考えるとモンガル県最南部の「辺境」ですが、ペマガツェル同様以前は街道の中間地点として大いに賑わっていた地域です。到着した翌日には、そこで作り出される多種多様な手工芸品の制作現場を見学させていただき、地域文化の奥深さの一端を垣間見ました。

背負いかご作り

曲げわっぱ作り

仏画の制作現場

彫り出して色を塗った各種仮面

かつて、ブータン国内でトレッキングをしたことがなく、自動車道路から遠くまで離れたことすらなかった若かりし頃の私は、ブータン通の大先輩がたから「それじゃあ本当のブータンを見たとは言えない」とよく言われておりました。何が「本当」なのか、何をもって「本当」とするのかは大いに議論の余地がありますし、結局のところ人それぞれ違うものに触れ、(同じものに触れたとしても)違った感想を抱くのだとは思いますが、例えばこのような古街道を歩いてみると、確かに、少なくとも自動車道路を中心とした移動のみでは見ること・感じることができないブータンの一面に触れることができる(というか、触れざるを得ない!)ような気はしております。

WAVOCブータンコラム「助教 平山のブータンつれづれ(第14回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2018/01/26/3136/