日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

幸福度調査から見える新型コロナウイルス感染症の影響

日本ブータン友好協会会員 須藤 伸

私は、昨年10月からティンプーに赴任し、JICAブータン事務所の企画調査員として勤務しています。このコラムでは、私の視点から見たコロナ後のブータンの現状をお伝えするとともに、現在JICAが協力し、私が担当しているブータン政府による幸福量調査(GNH調査:Gross National Happiness(国民総幸福量))から見える新型コロナウイルス感染症の影響についてもお伝えします。

私がブータンに赴任し早くも9か月が過ぎました。この間、今年1月から3月までの大半の時期は、ティンプーでのロックダウン(外出禁止を伴う都市封鎖)を経験するなど、新型コロナウイルス感染症の影響を大きく受けた時期でもありました。その後、3月半ばには、行動規制の段階的な緩和方針が発表され、4月中旬から下旬にかけては、オフィスや学校も再開し、以前とほぼ変わらない日常生活を過ごせるまでに至りました。こうした背景には、2021年3月以降、ワクチンの接種率や接種回数、年齢層の拡大に、政府が取り組んできた結果であると考えています。現在では、ティンプーのノルジン・ラムは買い物を楽しむ家族であふれ、夜になると人気のレストランやバー、クラブ等で賑わう若者の姿が目につくようになりました。また、週末のサブジ・バザールやホンコン・ストリートには、ブータンの建設業を支える外国人労働者がたむろする様子がみられ、ブータンの経済も回復基調にあるように思えます。

ブータンへの入国規制も緩和され、海外からの往来も徐々に正常化しつつあります。私が入国した昨年10月には、2週間もの間、政府指定の宿泊施設での隔離期間を経験しました(それ以前は3週間もの隔離を経験したJICA関係者も多くいます。)。このような入国後の規制は、7月4日からTest and Goという新たな制度が導入されたことで大きく緩和され、パロ空港にてPCR検査を受けた上で、陰性の場合には最大24時間の自宅隔離で済むようになりました。9月23日からは、外国人観光客の訪問も再開される予定であり、パンデミック後の規制緩和という点では、観光客のブータンへの距離も大きく近づくものと考えています。(一方で、観光政策の点では、6月下旬以降、Sustainable Development Feeの200米ドルへの引き上げや(従来は65米ドル)、主要な寺院の入場料の値上げなどが発表されており、観光業の今後の先行きは不透明な状況にあります。)

これまでの約2年間、日本政府やJICAは、ブータン政府の新型コロナウイルス危機対応に係る取組を後押ししてきました。具体的には、感染症対策を強化するため、ブータンの主要病院や感染症研究機関に対する救急車や医療機材等の提供を通じて保健システムの強化を支援してきました。また、ブータンに対して11年ぶりとなる円借款(33億円相当の長期低利貸付)の協力を通じて、コロナ後の経済的復興に係る取組を後押ししています。日本の外務省では、今年2022年を「日本・南西アジア交流年」と位置づけるとともに、ブータンとの間では、JOCV(JICA海外ボランティア)派遣取極締結35周年を迎えました。日本政府やJICAは、このようにパンデミックやロックダウンにより、ブータンが最も困難な時期に、開発協力を通じてブータン政府や人々に常に寄り添ってきました。今後、コロナ後には観光や民間交流を通じて日本とブータン関係がさらに進化していくことが期待されます。

さて、このような状況の中、ブータン政府による幸福度調査「GNH調査」が実施されています。今回の第4回調査は当初2021年に実施予定でしたが、パンデミックの影響により調査が延期され、ロックダウン後にようやく本格的なフィールド調査が開始されたものです。今回の調査では、2022年4月から7月までの間に、全ブータン国民の中から無作為に選ばれた11,440名(ブータンの人口の約1.5%に相当)を対象にヒアリングが行われています。フィールド調査では、調査員が各対象者の自宅を訪れ、一人当たり1時間から2時間ほどかけて、150問以上の質問に基づく回答を聞き取るものです。調査項目はGNHの9領域に基づき、心理的福祉、健康、時間の使い方、教育、文化、ガバナンス、地域の活力、生態系の多様性の維持、生活水準といった従来と同様の調査項目に加え、今年は新型コロナウイルス感染症の影響等についての質問も含まれています。このような質問に対する回答から、GNH指標が測定され、幸福度の経年変化や地域差を測定・分析するとともに、GNHに基づくブータンの開発政策を後押しするために活用される予定です。

JICAでは、ブータンの政府系研究機関Centre for Bhutan & GNH Studiesが実施するGNH調査に対して、前回(2015年)の第3回調査から協力を続けてきました。今回のGNH調査では、私も担当として、いくつかの調査現場を訪問する機会に恵まれました。6月には、ワンデュ・ポダン県リンチェンガン村(ゾンから見てプナツァン・チュ対岸の斜面に広がる村)を訪れました。この村は、ゾン建設のための移住者によって数百年前に作られたといわれている集落です。また、7月には、タシ・ヤンツェ県南部のジャムカル地区(ゴム・コラにもほど近い地域)を訪れる機会がありました。この時に私が訪問したChhema Tagchhemaという村は、ブラ(野生絹)を用いた織物が盛んな村です。今回のコラムでは、主にタシ・ヤンツェ県ジャムカル地区での聞き取り調査の一部を紹介します。(なお、聞き取り調査は、ブータン東部の言語であるシャチョップカ(ツァンラカ)によって行われ、私は調査員による英語を介して理解しています。)

ジャムカル地区で調査に応じた一人の女性Dekiさん(53歳)は、「私は100%幸せです。」と自信をもって答えました。その一方で、現在の生活の満足度は7割程度であると答えます。「主に織物で収入を得ており、織物は私の楽しみの一つでもあります。普段であれば、キラやゴ用の織物の販売で年間10万Nu程度の収入が得られましたが、ロックダウン期間中はまったく販売することができませんでした。さらに、最近は仲買人に安く買いたたかれて、自分の技術や商品への自信を失いつつあります。」また、調査に応じたもう一人の女性Ugyenさん(24歳)は次のように話します。「簡易なデザインのゴであれば通常は一枚3日程度で織ることができますが、私は子供の世話もしているため一週間程度はかかります。コロナ禍で織物が売れず、貯蓄を切り崩したり、近所のお店からお金を借りたりして過ごしてきました。」

ブータン政府は、「文化の保護と促進」をGNHの4本の柱の一つとして位置づけてきましたが、今回の調査を通じ、織物という伝統文化が、この地域の人々の所得の向上にも直接的に結びついている状況が見て取れました。また、新型コロナウイルス感染症が人々の生活水準や保健、教育といった分野に影響を与えていることは、容易に想像できましたが、今回の調査でのやり取りから、都市部に限らず東部の農村地域においても、ロックダウンが人々の所得水準に特に深刻な影響を与えていることが把握できました。さらに、特にDekiさんの回答からは、彼女にとって織物は生計を立てる手段であるだけではなく、楽しみや誇り・自信をもたらすものであり、日々の生活の満足度を高めるためにも特に重要なものであるものであることがうかがえました。

加えて、Dekiさんは次のように話します。「私はこの村で生まれ育ちました。長年暮らしてきたこの村が好きです。村人が共同で祭事や農作業に従事するのは当たり前のことであり、楽しみの一つでもあります。」また、Ugyenさんは、「この村では、私が病気になった時には、心配して10人以上が見舞いに来てくれます。」こうした回答からは、コミュニティの活力が生活の基盤として維持されていることや、困ったときに頼れる人たちが近くにいる安心感といった地域の人々のつながりの大切さに触れることができました。

また、Ugyenさんが話した「昨年は寺院の改修のために5,000Nuを寄付しました。また、その年の最初にとれた作物は必ずお寺に寄進しています。」といった回答からは、コロナ禍で自身が経済的に困難な状況にあるにも関わらず、信仰心を保ち、地域の共同事業に積極的に参加している様子がうかがえました。「地域の活力」はGNHの9つの領域の一つですが、ロックダウン期間は地域の祭事や近所づきあいの機会も減ったのではないかと考えています。こうしたコロナの影響が、コミュニティの在り方にどのような変化をもたらしてきたのかという点は、私自身が気になるところであり、調査の分析結果を待ちたいと思います。まだ若いにも関わらず、しっかりとした口調で質問に応じてくれたUgyenさんですが、「私には夫と子供が一人いますが、幸せの基になるのは家族と健康ですね。」と語っていた様子が特に印象的で、私自身も同じ問いへの答えを考えながら帰路につきました。

今回のGNH調査地への訪問は、私にとってもブータンの農村部の人々の声を直接聞く大変良い機会になりました。また、今回の調査で調査員として活動した若いデスップ(第5代国王のイニシアティブにより発足した国に奉仕するボランティア)にとっても、農村地域の人々の意見を直接聴く機会になったものと考えています。私自身は、特に新型コロナウイルス感染症の影響について、これまでもブータン政府の報告書や各種報道などを通じて、マイナス成長や高い若年失業率といった形で、国民生活や経済に大きな影響が生じていることを理解していたつもりでした。今回のいくつかの村で私が見聞きしたことは、ブータンのほんの一部の人々の意見にすぎませんが、こうした現場の声を直に聴くことでパンデミックが人々の生活にどのような影響を与えてきたのかを把握し、考える機会を得たことは、私にとっても大きな学びとなりました。聞き取り調査の結果は8月以降に取りまとめと分析が行われれ、GNH調査の結果は、年度末までに発表される予定です。

※なお、上記の文章は、私の個人的な意見であり、所属先や調査実施機関の公式な見解ではありません。

ワンデュ・ポダン県リンチェンガン村でのGNH調査。対岸には再建中のゾンが見える
タシ・ヤンツェ県ジャムカル地区でのGNH調査。右がDekiさん
タシ・ヤンツェ県ジャムカル地区でのGNH調査。左がUgyenさん

※日本ブータン友好協会『日本ブータン友好協会会報 ブータン』第155号、2-3、8頁より転載。