日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

『ブータン 山の教室』の3つの場面から考えるルナナの実状

日本ブータン友好協会理事 平山 雄大

日本での公開から1年、今も各地で上映が続く『ブータン 山の教室』(原題Lunana: A Yak in the Classroom)。日本に限らず世界各国で上映され、第94回アカデミー賞国際長編映画賞の最終リスト5作品にも選ばれ、(惜しくも受賞には至りませんでしたが)「ブータン映画」の歴史に新たな1ページを加えました。

映画の舞台は「標高4,800メートルにある秘境ルナナ村」。日本語パンフレットの監修をさせていただくことになった際、「ルナナ(ガサ県ルナナ郡)にルナナ村という名前の村は存在しない」、「標高4,800mというのはさすがに盛り過ぎ」、「例えば、映画に出てくる麦の収穫シーンも標高4,800mの地ではあり得ない」、「撮影地のチョゾ村は標高4,100mほど」等といろいろ指摘しましたが、映画はあくまでフィクションということで、キャッチコピーにもなっているその前提はそのままに……。もちろん、そうした意地悪な(?)指摘が映画の内容のすばらしさに影響を及ぼすわけではないのですが、細かい性格の私は、公式ウェブサイトに掲載されている「人口わずか56人のルナナには、電気も携帯電話もない」との説明にもツッコミを入れてしまいます。

あくまでフィクションであるという映画からも、何かしら現地の実状を垣間見ることはできるはず。そんな想いをもとに、この映画に出てくる場面を3点切り取り、ガサ県ルナナ郡の今に迫ってみたいと思います。

※ガサ県のウェブサイトによると、ルナナ郡には地区(Chiwog)が5、集落(村)が13あり、総人口は810人(185世帯/男性384人、女性426人)。郡長(Gup)1人、副郡長(Mangmi)1人、地区長(Tshogpa)5人、メッセンジャー(Chupen)8人、そして教員を含めた公務員が24人います(2014年)。

1. 村人の登場シーン(モノの流入)

最初に切り取りたいのは、主人公ウゲンが村に到着し村人から出迎えを受ける場面。ここでハッとさせられるのが、村人(特にお姉さまがた)のダウンジャケット着用率の高さです。

「文明」から隔絶されているかのような「秘境」ルナナの人々(ルナップ)の中には、冬は標高の低いワンデュ・ポダン県やプナカ県で過ごす人も多く、外部との接点は豊富にありますしモノの往来も盛んです。3ヵ月ほど前(2022年1月)には、コロナのロックダウン政策で県をまたぐ移動が制限された結果、プナカに降りてきているルナップ約200人がルナナに帰れなくなり困っている……というニュースもありました。

昨今の冬虫夏草ビジネスの成功でルナップの立ち位置は大きく変わり、中にはプナカでアパートを借りたり、土地や車を所有している人もいると聞きます。特に子ども、女性、高齢者の主要移動手段はヘリコプターになっていて、歩くと10日はかかる距離でも片道20~30分の快適フライト。プナカ=ルナナ間のヘリコプターのチャーター料金は片道1台8~10万円ほどで、基本的にはそれを搭乗者が割り勘をして支払っています。

以前、プナカに降りてきているルナップのお姉さまがたに話を聞いたことがありますが、確かに皆さん旦那を残してヘリコプターで来ていました。そして皆さん、ユニクロのウルトラライトダウンをはじめとした各種ダウンジャケットを颯爽と着こなしていました。中にはダウンジャケット2枚重ねの猛者も!

2. ペム・ザムの歌唱シーン(情報の流入)

次に切り取りたいのは、村の学校での最初の授業にて、少女ペム・ザムが歌を披露するシーンです。かわいい仕草と歌声に魅了されますが、ここでのポイントは、彼女が歌ったのがルナナに古くから伝わる民謡でも映画のテーマを構成する「ヤクに捧げる歌」でもなく、2017年公開の映画『Hum Chewai Zamling』の大ヒットナンバー「Choe Tshara Thomda Lu…」だということでしょう。

映画のはじめのほうで、ウゲンが靴を買いに行ったティンプーの靴屋の店内で流れているのが、同じく2017年公開の映画『Nge Tsa Wai Lama』の大ヒットナンバー「Shambalai Bhu」でした。ペム・ザムはオーディションでも同じ歌を歌っていますが、首都と「電気も携帯電話もない」辺境の地で、映画の撮影時に流行っていたB-POPの時間差がまったくないという事実!この情報化の時代において、ルナナへの情報伝達スピードは他とまったく違いがないと言えそうです。

私の理解では、ルナナの村々では携帯電話が使えるしネットもできラジオも聴けるので、彼女が最新B-POPをよく知っているのも、さらに(これは台本かもしれませんが)将来の夢に「歌手になりたい」と答えられる=歌手という職業があるのを知っているのも当然といえば当然かもしれません。そういえば、2013年公開のドキュメンタリー風(?)作品『HAPPINESS ブータン・幸せの国の少年』(原題Happiness)の中でも、ガサ県ラヤ郡の少年僧ペヤンキが、当時の最新B-POPを口ずさんでいました。

3. おばあちゃんの直訴シーン(教育の問題)

最後は、「孫に勉強を教えてください」と山を越えておばあちゃんが訴えに来る場面です。教育の地域間格差の話はブータンにもあり、ラヤやルナナでは、「親が冬虫夏草の採集に行くので、長男が弟や妹の面倒を見なければならない」、「遠くまでヤクの放牧に行かなければならない」等を主な理由に未就学や中退の問題が根深く、親の意識変革の必要性が叫ばれています。同時に、近代学校教育の追求は伝統的な生活形態の棄却を意味する……といった議論もありますが、ルナナの教育事情の一端を示す印象的なシーンではないでしょうか。

2022年現在、ルナナには学校が3校あります。レディ村にあるルナナ小学校、タンザ村にあるタンザ小学校、そして映画の撮影地であるチョゾ村のメンレタン小学校がそれで、最新の教育統計によると生徒数はそれぞれ38人、29人、14人、教員数はそれぞれ4人、2人、2人。ルナナ小学校以外の2校は、クラスPPからクラス3までしかない不完全学校(Extended Class Room: ECR)です。

親ではなくおばあちゃんが孫を連れて来たところを見るに、両親は冬虫夏草の採集やヤクの放牧で長期間家を空けているのでしょう。しかしこのおばあちゃん、テントを張って滞在している=親戚や知り合いがこの村にいない様子ですが、孫をどうやって学校に通わせる予定なのでしょうか。寮が併設されているレディ村のルナナ小学校を目指したほうが良いのでは?と余計な世話を焼いてしまいます。

次回は、ミチェンが奥さんから「ツァーゲ!」(バカヤロー)と罵倒される箇所等、他の場面に関しても取り上げてみたいと思います。

※日本ブータン友好協会『日本ブータン友好協会会報 ブータン』第154号、3-4、8頁より転載。