日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

日本ブータン学会第6回大会

※2017年からは、これまで日本ブータン研究所が主催していた日本ブータン研究会を発展させるかたちで、日本ブータン学会の研究大会が開催されています。

2022年6月25日(土)、オンラインにて、日本ブータン学会第6回大会を開催いたしました。

概要

1. 大会日程

2022年6月25日(土) 13:00~16:30

2. 開催方法

Zoomによるリアルタイム配信

3. 大会プログラム

13:00~13:10  開会挨拶
13:10~14:00  基調講演
          “Bhutan Enters New Era”
         Dasho Kinley Dorji (Former Reporter and Editor of Kuensel /
         Former Secretary of the Ministry of Information and Communications)
14:00~14:10  休憩

14:10~14:40  発表①
          “Effect of Fake News on Government Action in Combating COVID-19:
         The Case of Bhutan”
         Tshering Choden (Gross National Happiness Commission)
14:40~15:10  発表②
         「ある移住者家族の語り
         ―ブータン人であること、ティンプー市民であること、民族語話者であること、
         そして「わたし」であること―」
         佐藤 美奈子(国立民族学博物館)
15:10~15:20  休憩

15:20~15:50  発表③
         「ブータン山村におけるコミュニティ経済振興
         ―ブムタン県の乳業協同組合の事例から考える―」
         真崎 克彦(甲南大学)
15:50~16:20  発表④
         「日本における全国総合開発計画の経験を踏まえた
         ブータンCNDP2030実施上の課題」
         山田 浩司(JICAブータン派遣専門家)
16:20~16:30  諸連絡

4. 大会参加者

51名

発表要旨

【発表要旨①】“Effect of Fake News on Government Action in Combating COVID-19: The Case of Bhutan” Tshering Choden (Gross National Happiness Commission)

This research focuses on the spread of fake news about COVID-19 in Bhutan with a particular emphasis on how fake news has impacted the government’s response to the pandemic. The growth of misinformation on social media has made the government to take a strategic role by using its official social media pages as a legitimate source of information during the pandemic. The study found that fake news affected the government’s actions both positively and negatively. While time and resources were diverted from the pandemic response into addressing the issues posed by fake news, the same issue enabled the government to collaborate with various stakeholders whilst gaining the people’s trust.

Keywords: Communication; Coronavirus; COVID-19; Fake news; Government action; Health; Misinformation; Social media

【発表要旨②】「ある移住者家族の語り ―ブータン人であること、ティンプー市民であること、民族語話者であること、そして「わたし」であること―」佐藤 美奈子(国立民族学博物館)

1. 概要
ブータン王国(以下,ブータン)は,19もの言語をもつ多言語社会である.国語(ゾンカ語)を頂点に,社会的位相や機能が異なる複数の言語が言語ヒエラルキー構造を形成する.本調査は,東部の農村出身の家族が西部の首都ティンプーに移住した経験を家族4人の語りに取材し,「移住家族の語り」として「羅生門的」(中川,山崎2015)視点から多元的に分析したものある.

今回の発表では,英語ガイドである母親の語りを中心に,過去から未来へという縦の時間軸で描くことにより,「今/ここ」のわたしが「あそこ/あの時」をどのように振り返り,「今/ここ」のわたしと関係づけているか(Bamberg 2012),自己の再構築の過程とジレンマ(Bamberg & Georgakopoulou, Bamberg 2012)に焦点をあてる.それにより,地理的な移動と複数言語の習得過程におけるアイデンティティの可変性と流動性,複層性を描き出す.

発表の最後では,家族の語りとして2人の息子の語りを一部,絡めることにより,母親の縦軸の語りに,「今/ここ」の横軸からの再考を加える.母親として,職業人として,娘として,ひとりの女性として,すみ分けられる役割と,それに伴う言語の切り替えが焦点となり,アイデンティティの多元性を浮かびあがらせる.

一家が移住したブータンの首都ティンプーは,現在,ブータン全国から大量の移住者が流入し,その割合は85%に達しようとしている(NSB 2018).一家の語りからは,多様な言語が混とんと入り混じる都市生活のなかで,家族それぞれが自身を取り巻く複数の言語を,ブータンという国,ティンプーという地域社会,移住一家としての家族,そして個人のなかでどのように位置づけ,「わたしの/ぼくの言語」を自問自答してきたか,その過程と,日々更新される「今」が浮かび上がる.本研究の一家の語りは,ミクロな「ある家族の物語」であると同時に,親戚中で初めて教育を受けたという親世代と,教育を受けることがもはや当たり前となった子ども世代,移住第一世と移住第二世という,世代交代の大きな過渡期にある,ブータン社会の言語動態を反映する,マクロな「ブータンの物語」としてある

2. 方法
応募者は,2015年3月から一家を取材し,子どもたちの成長と家族の歩みを追ってきた.今回の発表では,2017年のナラティブ・インタビューのデータ(取材時-母親46歳,長男14歳,次男7歳,祖母70代)を軸に,ナラティヴ・エスノグラフィー(Gubrium & Holstein 2008, 2009)の手法による分析を報告する.語りのもつ「プリズム」と「メカニズム」の作用(Miller, et.al. 2012: 190)から,過渡期にあるブータンのマクロな動向と,移住一家を取り巻くミクロな環境が各々の語りにどのように反映されているか,語るという行為,語りの場の相互作用により,各々の語りがどのように変化するか(語りの「創造性」(桜井2012:90))に着目する.それにより,年代の異なる家族各々にとって言語圏を超えた移住がどのような経験として位置づけられているか,経験の「社会的意味」(Brewer 2000: 10)と認識(Harklaw 2005: 179)を読み解く.

Bauman(1999,2004)は,「ある領土に属する者はその国家に属す」とアイデンティティが明確に固定化されていた「ソリッド・モダン」と異なり,現在の「リキッド・モダン」では「アイデンティティの規制緩和,フレキシブル化」が生じ,アイデンティティの自由な選択と構築が解放をもたらす一方で,不安をもたらすという.現在のブータンは,ゾンカ語を話す,という一元的で均質的な「ブータン人像」に収束し得ない,アイデンティティの複層性がもはや現実となっている.ただ,その「わたし」の複層性と多元性を,自己のなかでいかに許容し得るか,し得ないか,という,自己との向き合い方や距離感が世代により異なっている.

一家4人の「羅生門的語り」(中川,山崎 2015)は,学校教育の急速な普及と,それによる社会の大きな変化を三世代にわたって経験した,ミクロな一家の語りであると同時に,今まさに入れ替わろうとしている世代交代の最中にある,転換期のブータン社会のマクロな物語でもある.

【発表要旨③】「ブータン山村におけるコミュニティ経済振興 ―ブムタン県の乳業協同組合の事例から考える―」真崎 克彦(甲南大学)

本報告(ドキュメンタリー映像使用)では、J.K. Gibson-Grahamが提起した「コミュニティ経済(community economies)」概念を参照しながら、地域に存する住民の協同性を軸として、いかにブータンの山村で乳業協同組合が立ち上げられ、どのように経済振興が進められてきたのかを考察する。国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業『ブータン王国 シンカル村における所得向上と住民共助による生活基盤の継承・発展』(2018年~21年)に基づく報告である。

これまでの主流派の経済学では、各々の経済主体が自己利益(金銭価値)を最大化しようとする場としての市場経済が措定され、それをどう廻すのかが主題となってきた。そうして経済学の精緻化が進み、市場経済の法則性が解明されてきた。そこでは経済領域は狭くとらえられ、商品経済(各経済主体が市場動向を気にしながら、できるだけ多くの貨幣獲得を目指そうとする制度)と同一視される。

しかし昨今、経済格差や環境破壊をはじめとする地球規模課題の深化にともない、経済をより幅広く、人の生活・生存を支える活動としてとらえ直そうとする学究に注目が集まってきた。本報告では取り上げるコミュニティ経済論も、そうした非主流派経済学の一つである。日々の暮らしでは、財・サービスや労働はつねに商品として交換されるわけではない。人どうしの協同性も大事な役割を果たしており、生活を営む上では財・サービスや労働は、貨幣を介さない贈与交換も含めて、さまざまな形でやり取りされる。人どうしの顔が見えやすい地域コミュニティでは特に、そうした関係性を基盤としながら経済振興を図ることができる。これがコミュニティ経済論の骨子である。

本報告で取り上げる山村(ブムタン県ウラ地区シンカル、39世帯、標高約3,500メートル)では、住民の協同性が日常生活で大切な役割を果たしてきた。たとえば、祭事を執り行う際、全世帯が供物を持ち寄り、在家僧が読経を行う。また、農繁期には種蒔きや収穫が互助を通して行われる。さらには、村に関わる決め事をする際、全世帯の代表者が集まって話し合う。

村の住民はかつて、ムギやソバを栽培して主食とし、畜牛のミルクでチーズやバターを作って暮らしてきた。近年はジャガイモや茸類を栽培・採取して村外で売る。世帯あたりの平均年間所得(2017年)は79,618ヌルタムであった。村では現金収入の確保が重要課題になっている。2010年に電気が開通し、炊飯器やテレビなどの電化製品が必需品となった。農業でもハウス栽培の技術が伝わり、私有の耕耘機やトラクタを賃貸する住民もいる。それらの技術や機械を利用するにもお金が要るし、子どもを私立学校に行かせるには年間8万ヌルタムほどかかる。

そうした中、乳製品(チーズ・バター)を工場で生産し、村内外で販売することで所得向上を図るべく、乳業協同組合が2018年8月に始まった。全世帯が加入する村落コミュニティを基盤とした組合である。組合員は毎朝牛乳を納入し、代金を毎月まとめて受け取る。そうして生まれた追加収入は、世帯平均で1年目(2018年8月~2019月7月)はNu.40,768、2年目(2019年8月~2020月7月)はNu.47,229であった。3年目(2020年8月~2021月7月)は新型コロナ感染症のために閉鎖されたが、組合活動は2021年9月半ばから再開している。

このように、組合が始まったことで各世帯の所得向上が実現したが、それを可能にした要因が、組合スタッフの助けになろうとする組合員の協同精神である。牛乳代金は他所の組合に比して低めに設定されていたが、組合員は値上げの要望を棚上げし、スタッフの待遇改善を優先して進めた。結果として当初は5,000ヌルタムであった月給は、段階的に8,250ヌルタムに上げられた。しかも、組合員の中には牛乳を納品した後、組合スタッフを手伝う人もいて、工場は毎朝にぎわう。早朝から正午前後まで工場で働いた後、家で仕事をするスタッフの負担を減らそうという心持ちからである。

さらには組合の成功は、村の協同性の象徴でもある祭事を大事にする組合員の暮らしとも絡む。上述の通り、村では祭事用に供物を出し合う習慣が続いており、住民にとっては金銭的な負担も掛かるが、新たに牛乳代金を得るようになって余裕ができた。それにくわえて、組合より余剰の乳製品が祭事に直に供されることもあり、その点でも組合は祭事継続に役立っている。こうした祭事への貢献も、組合活動を継続・発展しようとする組合員の意欲醸成を後押ししている。

もちろん課題がないわけでない。人手や畜牛数が足りずに牛乳を供給できない世帯も存在する。また、家事や農作業との両立に難儀する組合スタッフの離職がしばしば起きる。さらには近隣集落で同様の組合を立ち上げる動きがあり、今後も乳製品を売り続けられる保証はない。

それでも、シンカルの乳業協同組合は、村落を基盤としたコミュニティ経済振興の事例として発展していくのではないだろうか。それら課題に対応しようとする動きが実際に組合内に存するからである。ブータンで雇用創出が重要課題であり続ける中、GNH政策の力点でもあるコミュニティの活力、ならびに人口の半数以上が暮らす村落における生計向上の一モデルとして示唆を与えるだろう。

[ 謝 辞 ]
本研究を進めるに当たり、国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業『ブータン王国 シンカル村における所得向上と住民共助による生活基盤の継承・発展』(2018~21年)、ならびに文科省科研費(基盤研究(C)『ブータンの発展政策の実証的研究を通した内発的発展論の再検討』、2017~22年、課題番号: 17K02056)の助成を受けました。

【発表要旨④】「日本における全国総合開発計画の経験を踏まえたブータンCNDP2030実施上の課題」山田 浩司(JICAブータン派遣専門家)

2019年、JICAは約2年間にわたる技術協力「全国総合開発計画2030策定プロジェクト」(CNDP2030)を終え、プロジェクト最終報告書をブータン政府に提出した。CNDP2030は、近年の同国開発における大きな課題とされてきた、東部、南部農村地域から西部都市部への人口移動、地域間格差、農村部における若い働き手の減少、休耕地の拡大や公共サービスの担い手不足、都市における雇用吸収能力の欠如、若年層の失業などを背景に、こうした国家レベルの人口分布の不均衡に伴う問題の解決に向けた、全国規模の包括的な開発計画の必要性が認識され、分野横断的かつ包括的な国土利用計画のマスタープランの策定経験を既に有する日本に、策定への協力が要請されたものである。

最終報告書は、第12次5カ年計画(2019-2023)以降の国家開発計画策定に向けた基礎資料とされ、これまで度々引用されてきた「Bhutan 2020」(1999)に代わる長期ビジョン文書策定へのインプットも期待される。また、CNDP2030は公共投資の長期的配分とも関連するため、JICAとしても今後の開発協力の案件形成では必ず背景確認に用いられる旗艦文書と位置付けられている。

こうして、CNDP2030は日本の全国総合開発計画(全総)に基づき策定された。全総は日本国内における産業配置計画を定め、それに基づく国土利用や公共投資の配分を規定したマスタープランで、今世紀に入るまでに四次にわたって更新されてきた。しかし、大都市への人口集中や地域間格差の是正を目的に順次策定されたにも関わらず、実際はそれらを助長したとの厳しい評価もある。日本の全総の経験に基づく以上、CNDP2030を見る場合も、全総が期待された結果をもたらさなかった点にも注目し、同じ轍を踏まない配慮が求められよう。

日本の国土計画は、戦時中の「国土防衛策」として登場し、戦後は「国土復興策」として策定が求められ、1962年に全総となった。前年発表の「所得倍増計画」の手段として、拠点開発方式を取り入れた全総は、全国各地に「新産業都市」を配置しようとしたが、これが公害問題を引き起こしたばかりか、三大都市圏の人口は増え続け、とりわけ東京圏への集中は加速した。

1969年には早くも「新全国総合開発計画(二全総)」が閣議決定され、一全総における工業開発拠点をさらに推し進め、拠点間をつなぐ運輸交通、通信ネットワークの整備に重点を置いた。この時期は田中角栄の「日本列島改造論」が席巻し、公共事業を見込んだ地価高騰や、政官財の構造的な癒着状況の形成にもつながった。

その反省を踏まえ、1977年には「第三次全国総合開発計画(三全総)」が閣議決定された。三全総は、当時の大平首相の掲げた「田園都市国家構想」と取り込み、定住圏構想のための総合的環境整備を全国で指向した。しかし、その実態は、就労の場の拡大に必要とされる工場誘致活動であり、治水砂防対策といった土木事業であった。79年には第二次石油ショックに襲われたのを受け、その対策として、「テクノポリス構想」が80年代初頭に台頭、先端技術産業の立地拠点の整備と企業誘致が展開された。

そして、1987年に閣議決定された「第四次全国総合開発計画(四全総)」は、民活による大規模リゾート開発や東京の国際都市化を煽った上に、バブル崩壊により国内各地に廃墟を遺す結果となったとの批判がある。

こうして開発至上主義に基づく大規模開発が国内各地で進められた結果、東京一極集中、全国で際立つ過密・過疎、荒廃する国土といった、国土構造を日本に作り出したのも全総であった。全総の反省として、長期的にどのような構造の国土と社会を創っていくべきかを示す「理念」「哲学」を考えることが必要だったとの指摘に加え、各々の地域が、長期ビジョンに沿って自らの特徴に応じた独自の地域開発計画を策定していくことが必要だったとの指摘がある。

CNDP2030は「持続可能な開発の先頭を行くグリーニスト(GREENIST)の国」との開発ビジョンを示す。日本の全総の経験を踏まえれば、こうしたビジョンを踏まえ、国内各地域が、国の上位計画に頼ることなく自らの計画を策定し、示していくことが求められる。