日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

GNH国際会議に参加して

平山 雄大

2015年11月4日から6日にかけて、パロのウゲン・ペルリ・パレス敷地内で開催されたGNH国際会議(主催:ブータン研究・GNH調査センター)に参加しました。この会議は、GNHを学術的に追究することを目的として2004年2月にティンプーで第1回が開かれたもので、今回は2009年11月の第5回(於:ブラジル)以来、実に6年ぶりの開催となるものです。私にとっては、2007年12月の第3回(於:タイ)以来となる、2度目の参加です。

今回の規模は全6回の中で最大で、公式発表によると国外からの参加者は世界48ヵ国から約500人に及んだとのことです。中でも参加者が多かったのは、インド(98人)、タイ(40人以上)、日本、アメリカ(各20人以上)、オーストラリア、ブラジル、イギリス、カナダ、チリ、ドイツ、フランス(各10人以上)。イスラエル、オマーン、プエルトリコ、ルーマニア、南アフリカ、中国、ベルギー、メキシコ、ネパール、アルゼンチン、モンゴル、ラオス、カンボジア等からの参加もあり、その多様性に驚きました。また、国内からも数百人の参加があったとのこと。ドゥゲルHSSの生徒をはじめとしたパロの高校生も多数参加していました。

会場はこの会議のために設置された巨大テントで、首相、大臣、国会議長等を招いて行われた前夜祭(11月3日)の後、初日はもちろん高僧(リンポチェ)による法要からスタート。タイとインドからいらっしゃった高僧によるありがたいお話も続き、初日の午前中からスケジュールは一気に3時間押しとなりました。

2日目は、もうひとつのテントも使用し同時並行で分科会形式の発表。1人あたり持ち時間10分でどんどん回していきます。日本からも高橋義明先生、熊谷誠慈先生、内田由紀子先生、福島慎太郎先生らが、ご自身のご研究に「GNH」を絡めた熱い発表をされました。個性豊かないろいろな発表を聞きましたが、特にダショー・ネテン・ザンモによる「GNH in Action」と題したサムドゥプ・ジョンカル・イニシアティブの実践に関するお話、ジョン・エリオット元フィナンシャル・タイムズ記者による1987年の第4代国王へのインタビューを中心としたお話は、自身の興味関心とも合致し刺激的でした。

最終日の昼には第5代国王がいらっしゃり、かなりの時間をとって参加者と懇談(というより談笑)されました。「来年(2016年)、ワイフと一緒に日本を再訪する予定があるんだ~」とおっしゃっていましたが、本当に実現するでしょうか。午後は、ブータン研究・GNH調査センターの研究員らによる第3回GNH調査の暫定的な結果報告、ロバート・F・ケネディJr.による「A Contract with Our Future」と題する発表等を挟み、閉会となりました。

会場内にはWi-Fiが整備され、ツーリストSIMカード販売所(B-mobile)や両替所(BOB)が並び、提供される料理も質・量ともに十分で、敷地内にテントを張って寝泊まりし、朝から夜まで駆けまわっていた運営スタッフの頑張りと気配りのすばらしさに敬意を表さずにはいられませんでした。11月のパロは寒く、特に夜は会場のテント内も相当冷え込みます。2日目の夕方からは(おそらく急遽)キャンプファイヤーとアラ&チャンケが投入され、お酒を飲んで体の芯から温まりながら会議、というアツアツ状態に。「スケジュールが押しても、まあなんとかなるでしょ」「寒いから、まあお酒でも飲みましょ」といったこの緩さを保持していることは、確かに幸福追求の大事な要素でしょう。

個人的には、誰も否定できず、どんな研究にも居候できる(ように思われる)「GNH」がますます得体の知れないものに感じたり、これまでGNHの最高のスポークスマンであったジグミ・Y・ティンレイ元首相の話題が一切出ない、基調講演や発表でもまったく触れられないことにちょっとした怖さを感じたりもしましたが、普段は入れないウゲン・ペルリ・パレスの敷地内に入れたこと(ミーハーな私は、1958年9月に第3代国王とネルー首相が演説をされたあの壇上にも上ってきました)、ウゲン・ワンチュク・アカデミーの教員だったマイケル・ラトランド先生にお会いできたこと等も相乗し、会議への参加は非常に有意義なものとなりました。

ちなみに、閉会式ではダショー・カルマ・ウラより「次回のGNH国際会議の開催地として、日本の福井県が名乗りを上げてくれている」旨の発言がありました。福井での実施が実現するかどうかは定かではありませんが、このようなブータン発の国際会議が、継続して開催されていくことを期待してやみません。

※日本ブータン友好協会『日本ブータン友好協会会報 ブータン』第130号、3-4頁より転載。