日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

舞台はガサ県

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター講師 平山雄大

ブータンには20の県がありますが、21世紀になるまで県庁所在地に自動車で行けなかった、つまり自動車道路が開通していなかった県がひとつだけあります。それが、北部に位置するガサ県です。

衣装の異なる高地牧畜民が暮らすラヤ郡、県庁から歩いて1週間以上かかる村がいくつもあるルナナ郡をはじめとした4つの郡から構成されているガサ県は、中国のチベット自治区と面する標高の高い一帯です。チベットとの繋がりが強い場所のひとつで、「ブータン建国の父」ガワン・ナムゲル(シャプドゥン)が17世紀にブータンへとやって来た際の通過ルートでもあるため、彼にまつわる物や説話が多く残されています。特にラヤ郡やルナナ郡は、漢方薬や薬膳料理の材料として重宝される冬虫夏草の主要な収穫地でもあります。

ガサ県の県庁所在地にあるゾン(県庁兼僧院)
改修中のゾン(2017年3月撮影)
県内で一番大きな商店街
中心にはマニ車。左手の建物は銀行のガサ支店
ガサ温泉。県内にはいくつか温泉があります
400年前にシャプドゥンが座ったとされる石

ガサ県を舞台にした、もしくは取り上げたドキュメンタリーや映画は40年近く前からいくつも作られていて、そのときどきの様相を、それらを通して知ることができます。今回はそんな映像作品を6つ紹介します。

1.『秘境ブータン』(第2回 幻の王家の谷へ)(1983年)
本格的な機材を装備してガサに入ったテレビの撮影隊は、故・後藤多聞氏が率いたNHK取材班が最初だと言います。1982年10月、当時まだプナカ県の一部だった(そして自動車道路の建設も始まっていなかった)ガサに自動車道路の終着から2泊3日かけてたどり着いた取材班は、「幻の遊牧民ラヤップ」の地であるラヤまで足を延ばしました。当時のガサまでの行程や、ヤクと共に生きるラヤの人々の暮らしを鮮やかに記録したこの取材の成果は、1983年1月14日にNHK特集『秘境ブータン』(第2回 幻の王家の谷へ)として全国放送されました。

ちなみに、この取材行(プンツォリンからブムタンまで横断)は本にもなっています。NHK取材班(1983)『遥かなるブータン―ヒマラヤのラマ教王国をゆく―』日本放送出版協会。これが文庫本になったものが、後藤多聞(1995)『遥かなるブータン―ヒマラヤのラマ教王国をゆく―』筑摩書房(ちくま文庫)。ブータンに関わる者にとっての必読書です。

ガサの幼稚園児たち

2.『氷河を越えて』(2003年)
NHK特集『秘境ブータン』の放送から20年後、ルナナを主な舞台とするドキュメンタリーが作られました。ブータン放送(Bhutan Broadcasting Service: BBS、以下BBS)で働いていたドルジ・ワンチュク氏が監督を務めた『氷河を越えて』(原題School Among Glaciers)※1(リンク先から視聴可能)という、ルナナ・コミュニティスクール(現ルナナ小学校)に赴任する教師を追ったものです。このドキュメンタリーは各方面から高く評価され、NHKの第30回「日本賞」番組企画部門で、グランプリとなる放送文化基金賞を受賞しました※2。

前半は主人公であるナワン先生が学校のあるヘディ村に到着するまでの過程ですが、そこには、県庁所在地に車が乗り入れていない(=自動車道路が開通していない)状態の最後のガサの姿が記録されています。ナワン先生はラヤ経由でルナナに向かっているため当時のラヤの状況も描かれており、前半だけですでに見どころ満載。標高5,200メートルの峠を越えてやっとたどり着くルナナの地はブータンでも最も辺境にある場所のひとつで、ナワン先生はその辺境の地で授業を行うために奮闘します。

ガサ小学校に登校する子どもたち

3.『The Road to Lunana』(2007年)
ルナナまでの陸路行程が一番詳しく分かるのは、BBS制作の『The Road to Lunana』※3(リンク先から視聴可能)でしょう。民主化直前の2007年5月に、選挙の意義や投票方法をタンザ村まで指導に行く(=電子投票の予行演習を実施しに行く)チームを同行取材したものです。ルナナ郡の各村の位置や規模について、さらに人々の暮らしについて、この作品から読み取れるものは多いです。氷河湖もたくさん出てきます。各村から人が集まっての予行演習の場は結構圧巻!そして、ルナナのおばちゃんたちのヤク毛帽子がかわいいです。

余談ですが、この作品で脚本・副プロデューサー等を担当しているのは、以前コラム「ブムタンから現代ブータンを考える」※4で紹介したドキュメンタリー『ゲンボとタシの夢見るブータン』(原題The Next Guardian)※5の監督を務めたアルン・バッタライ氏です。彼は独立前、BBSで働いていました。

ヤクの群れ

4.『HAPPINESS ブータン・幸せの国の少年』(2013年)
逆に、ガサ県(ラヤ)から都会に赴く話もあります。NHK特集『秘境ブータン』から30年後に作られた、フランスとフィンランドによる国際共同合作のドキュメンタリー(風?)作品『HAPPINESS ブータン・幸せの国の少年』(原題Happiness)※3がそれです。

このときはすでに県庁所在地のガサまで自動車道路が開通し、ラヤまで電気を通すための工事が進行中でした。ドキュメンタリーは、貧しさゆえに少年僧となった8歳のペヤンキが、伯父と一緒に首都ティンプーにテレビを買いに行くところを追ったものです。ティンプーで働いている姉に会う場面や、電気が届き食い入るようにテレビでプロレスを見るラヤの人々の場面等、いくつかの印象的なシーンを通して近代化・情報化の意味を考えさせられます。電気が届く前であっても携帯電話の電波はラヤまで通じていて、そんなところもポイントです。

今、ガサからラヤまでの自動車道路が建設中ですが、それが開通したとき、ラヤの人々の暮らしはどのように変わるのでしょうか。

ガサ・ゾンで修行するお坊さんたち

5.『Bhutan: Change Comes to the Himalayan Happy Kingdom』(2020年)
2020年後半、アルジャジーラによるドキュメンタリー番組『101 EAST』の「Bhutan: The Pursuit of Happiness」※4(リンク先から視聴可能)や、ドイツとフランスの共同出資によるテレビ局アルテ(Association Relative à la Télévision Européenne: ARTE)が制作した『Einfach Leben! Bhutan, das Reich des Glücks』(直訳すると『シンプルに生きる!幸福の国ブータン』)※5(リンク先から視聴可能)等、ブータンに焦点を当てた良質の番組がいくつか放送されました。その中のひとつ、ドイツの国際放送事業体ドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle: DW)が制作した『Bhutan: Change Comes to the Himalayan Happy Kingdom』※6(リンク先から視聴可能)というドキュメンタリーに、ラヤが出てきます。

このドキュメンタリーはドローン撮影を駆使していて、映像が今風で非常に美しいです。ブータンの「変わらぬもの、変わりゆくもの」に焦点を当てた内容で、親元を離れティンプーの僧院学校に入学する少年、オーガニックフラワーを栽培する農家コミュニティの女性リーダー、ブムタン県シンカル村に暮らす73歳のおじいちゃん等が紹介されていますが、そのうちの1人が、ラヤで冬虫夏草を収穫する青年とその家族です。ラヤのシーンは9分23秒~14分33秒と26分14秒~29分38秒。丈夫なヤクを育てるために彼らに塩を与えるところは、今も昔も変わりません(NHK特集『秘境ブータン』にも同様の描写あり)。奥さんが着こなすダウンジャケット、日常生活に浸透するスマホ等は新たな文化と言えそうです。

踊りの練習をするガサの女性たち(ダウンジャケット率高め)

6.『ブータン 山の教室』(2019年)
ルナナを主な舞台とするブータン映画が、2021年4月から日本各地で公開されます。ブータン人のパオ・チョニン・ドルジ氏が監督・脚本を務めた『ブータン 山の教室』(原題Lunana: A Yak in the Classroom)※7という、オーストラリアに行くことを夢見る都会っ子の教師ウゲンが、ルナナの村にある学校(撮影地はチョゾ村のメンレタン小学校/ルナナ郡に3つある小学校のうちのひとつ)に赴任する物語です。

例えば『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でも『ラストサムライ』でも『アバター』においてもそうですが、異文化・コミュニティに接するうえで、「相手の大切にしているものを大切にする」姿勢は不可欠です。この映画の主人公であるウゲンも、外に関心を示さない態度を改め、徐々にルナナの文化を尊重し、周りに溶け込み、成長していきます。原題にもある通り、物語の重要な存在はヤクです。今回紹介した6つの映像作品すべてにヤクが登場していますが、「ヤクと共にある生活」はガサ県の、さらにブータンの高地の原風景と言っても良さそうです。

ラヤの人々同様、夏の間は標高4,000メートルを越す高地でヤクを放牧し、冬の間は低地に下りて交易等を行うのがルナナの人々の伝統的な生活スタイルです。近年は冬虫夏草の収益による「お金持ち」が増えていて、冬、ヘリコプターをチャーターしてルナナ=プナカ間を往復する人々の姿も結構一般的になっています。歩くと片道7~10日間はかかりますが、ヘリコプターだと35分ほど。「ヤクと共にある生活」+「ヘリと共にある生活」、アツすぎます。

ルナナの方々にインタビューをする早大生

ガサ県は「何もない」、「ド田舎」等と揶揄されることもありますが、素朴な魅力が詰まった場所です。県庁所在地のガサまでしか行ったことのない私ですが、ラヤやルナナにも足を延ばしてみたいと常日頃思っています。コロナ禍でもどかしい日々が続きますが、映像で予習・復習をしながら訪問・再訪できる日を待ちましょう。

※1 https://www.youtube.com/watch?v=YdO_k7rELFQ

※2 https://www.nhk.or.jp/jp-prize/2003/jyusyou_07.html

※3 https://www.youtube.com/watch?v=rLG–W5zpJE

※4 https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2018/11/19/3882/

※5 https://www.youtube.com/watch?v=PxsfWnSuPfA

※6 http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=141023

※7 https://www.youtube.com/watch?v=o1GyJt-dxZM
https://www.aljazeera.com/program/101-east/2020/10/9/bhutan-the-pursuit-of-happiness

※8 https://www.youtube.com/watch?v=2iYogqLCViE
https://programm.ard.de/TV/Themenschwerpunkte/Dokus–Reportagen/Umwelt-und-Natur/Startseite/?sendung=287243379727193

※9 https://www.youtube.com/watch?v=Oki0kftEm-Y&t=3s(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=qQnUIOK_Y_g(スペイン語)
https://www.youtube.com/watch?v=n5bxujI1QqQ(アラビア語)

※10 『ブータン 山の教室』公式ウェブサイト https://bhutanclassroom.com/

WAVOCブータンコラム「平山雄大のブータンつれづれ(第60回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2021/03/26/6044/