日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

ゲレフ温泉で考えるGNH

ブータン南部サルパン県の中心都市ゲレフから約15キロ、シェムガン県へと向かう道を外れて坂を下った川沿いにゲレフ・ツァチュ(温泉)がある。まったくもって時期外れのとある夏の昼下がり、一風呂浴びに出かけた。

温泉の周囲はレンガ造りの壁で囲まれ、一見しただけでは温泉なのか何なのか分からない。「むむむ、なかなかの秘湯感を漂わせている」等と感想を漏らしつつ周囲を見渡すと、仏像やチョルテン、ルンタ等と並んでシヴァ神の肖像が掲げられていたり、石のリンガが置かれていたりとヒンドゥー教の影響も色濃い。やはり南部である。浴槽は5つ。そのうちの4つは円形で、高い壁に覆われており井戸を彷彿とさせる。この温泉は、数段の階段を下りて外部と遮断されたその井戸的浴槽に浸かる、という斬新なスタイルなのである。快適なのかどうなのか正直よく分からない。日本人の感覚からすると湯の温度はあまり高くはない。それぞれの浴槽で微妙に温度を違えている。夏場だったので閑散としていたが、冬には湯治客で溢れかえるという。

温泉から歩いて数分のところに、平屋の宿泊施設があったので行ってみた。閉められていて中に入ることは叶わなかったが、冬場は開放し、湯池客は自由に使えるとのこと(布団等は持参)。ただし収まりきらないので、周囲にはテントも張り巡らされるらしい。

この宿泊施設の壁に、「1968年1月16日、ドゥルック・ギャルポ・ジグメ・ドルジ・ワンチュクによって開かれた」と書かれた石板が埋め込まれていた。40年以上前に第3代国王がこの地にいらしたのだろうか。史実を紐解くと、確かにこの年、第3代国王は当時12歳だった皇太子(後の第4代国王)と、皇太子の2人の姉君アジ・ソナム・チョデン、アジ・デチェン・ウォンモを伴って1月11日にティンプーを出発し、ブータン南部・東部の視察旅行を行っている。第3代国王御一行は、あるいは、ゲレフ温泉で旅の疲れを癒したのかもしれない。

それから4ヵ月後、5月12日にリンプン・ゾン(パロ・ゾン)で開催された第28回国民議会(国会)開会式において、第3代国王は以下のように述べられた。「もし開発の結果、国民が損害を受けるようなら、国を開発する意味はない。結局のところ、開発の目的は人々を豊かにし幸せにすることにある。」

GNHは、第4代国王がそう名付ける以前より国の開発を考える哲学として存在していたと考えらえるが、その事実を的確に示している言葉だと言えよう。また、既に広く知られている通り、同年秋の第29回国会において、第3代国王は国王拒否権を全面放棄し国会での決議を最終決議とする旨を勧告し(同国会において承認)、同時に国会の不信任投票による国王弾劾法を提案している(翌年の第30回国会において承認)。国民の幸福を第一義とする開発哲学、さらには民主化に向けた急進的な政治改革がどのような過程を経て構想に至ったのか、第3代国王亡き今解明することは困難を極めるが、1968年初頭の南部・東部視察旅行をはじめとした一連の地方行脚が構想に至るベースとなっているであろうことは想像に難くない。

ゲレフ温泉の宿泊施設に埋め込まれた石板からGNHに想いを馳せるのも、また一興。温泉の横を流れる川の対岸には、ツァマカイ・メトが実る樹木が茂っていた。

平山 雄大(GNH研究所 研究員)
早稲田大学教育・総合科学学術院 教育総合研究所助手。
ブータンの近代学校教育史を研究中。

※GNH研究所『GNH研究所 ニュースレター』第5号、2頁より転載。