日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

古街道をゆく(前編)

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教 平山雄大

1960年代からブータンには順次自動車道路が開通しはじめ、「移動」を巡る諸相が急速に変容していきました。それまで長らくヒト・モノの移動を司ってきた街道の多くは自動車道路にその役目をゆずり「古」街道となり、今にいたります。

前々回のコラムで取り上げた東部のペマガツェル県にも、チベット=ブータン=インドを結ぶ最短距離の街道のひとつが通っています。例えば北に隣接するモンガル県まで(現在使用できる唯一の)自動車道路を使って行こうとすると、非常に大回りして合計300キロほどの山道をクネクネと移動する必要がありますが、この街道を使うと、ペマガツェル県内の自動車道路のはずれからモンガル県内の自動車道路のはずれまで、たった1日で歩くことができます。

ペマガツェルの中心部(メインストリート)

ペマガツェル県とモンガル県の間を走る自動車道路

自動車道路横のカエル岩

訪れる旅行者は非常に少ないですが、ペマガツェル県は、テンペ・ニマ(「ブータン建国の父」と言われるガワン・ナムゲルのお父さん)が建てたという伝承を持つヨンラ・ゴンパやドゥンカル・ラカン、ペマ・リンパ(高名な埋蔵法典発見者)の息子クェンガ・ワンポが建てたというケリ・ゴンパなど、由緒ある寺院を数多く有しています。すでに地元の人々にも忘れ去られかけているラナンゾル・ゾン(城塞)跡や1864~1865年のドゥアール戦争でイギリス軍の攻撃を受けて全焼したシャリカル・ゾン跡といったブータン史に踏み込むうえでは避けては通れない旧跡、伝統楽器の生産で有名なツェバルや黒砂糖菓子ツァチィ・ブラムで知られるツァチィといった村も点在し、歴史的にも文化的にもかなり「アツい」地域です。

代々ケリ・ゴンパを守ってきたケリ・チョジェの末裔

シャリカル・ゾン跡の石垣

伝統楽器の装飾作り

そんなペマガツェル県から歩いてモンガル県側に抜けるために、とある日の午前8時に、ラナンゾル・ゾン跡がある丘の麓(自動車道路の終着点)から行程をスタートさせました。午前中はひたすら沢登りです。ダンメ・チュ(川)の支流を伝って、道なき道を一心不乱に進みます。対岸から対岸へ、また対岸から対岸へ、なるべく水量が少なく流れが緩やかな場所を選んで、それでも深いところでは膝まで水につかりながら上流へ。最初は律儀に靴と靴下を脱いで渡りましたが、2回目からはもう靴を履いたままザブザブザブ…。途中、この行程中唯一すれ違ったおじさま(インドとの国境の町に向かうとおっしゃっていました)にアラ(お酒)と蜜柑をいただきつつ、対岸から対岸へ渡ること約20回、ようやく最初のポイントであるデリ・ザム(橋)の下にたどり着きました。ここまで約4時間。橋のたもとでしばし休憩。

そして午後、今度はひたすら山登りです。(後編に続く)

午前中はひたすらダンメ・チュ(川)の支流を沢登り

4時間後、ようやくたどりついたデリ・ザム(橋)

ダンメ・チュ(川)。手前:ペマガツェル県/奥:モンガル県

WAVOCブータンコラム「助教 平山のブータンつれづれ(第13回)」より転載。
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2018/01/19/3125/