日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

第1回日本ブータン研究会

2011年5月29日(日)、JICA地球ひろばにて、第1回日本ブータン研究会を開催いたしました。

概要

1. 日時

2011年5月29日(日) 10:00~16:45

2. 場所

JICA地球ひろば セミナールーム301室
〒150-0012 東京都渋谷区広尾4-2-24

3. プログラム

10:00~10:30  開催趣旨/参加者自己紹介
10:30~12:00  発表①
         「ブータンの情報化過程における特異性とその文明史的意義」
         藤原 整(早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程)

12:00~13:00  昼食/休憩
13:00~14:30  発表②
         「ブータンにおける近代学校教育の歴史と現状―初等教育段階を中心に―」
         平山 雄大(早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程)

14:30~14:45  休憩
14:45~16:15  発表③
         「辺境から眺めたブータンのツーリズム政策―牧畜民の村メラを事例として―」
         脇田 道子(慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程)

16:15~16:45  講評等

当日は森 靖之様(元JICAブータン事務所長/日本ブータン友好協会副会長)にご出席いただき、コメント及びご講評をいただきました。

4. 研究会参加者

34名

5. 懇親会

琉球酒肴菜屋「花唄」広尾店
〒150-0012 東京都渋谷区広尾5-17-6 河上ビルB1

2011年5月29日(日) 18:00~
参加者 18名

6. 主催

日本ブータン研究会実行委員会

7. 協力

GNH研究所 http://www.gnh-study.com/
日本ブータン友好協会 http://www.japan-bhutan.org/

発表要旨

【発表要旨①】「ブータンの情報化過程における特異性とその文明史的意義」藤原 整

本発表は、ヒマラヤの小国ブータンを対象として、現地の短期フィールドワークおよび文献研究を通して、かの国における情報化過程をつぶさに調査し、その特異性を示すとともに、独自の文化基盤と新しい情報通信技術(以下、「ICT」)とが、相互にどのような影響を及ぼしているかを検証することを目的とする。

「情報化社会」という言葉がもてはやされるようになって久しい昨今。それはかつて、D.ベルが「脱工業化」、A.トフラーが「第三の波」という言葉でそれぞれ予言した通りの未来とは言い難いが、しかし、確かに現代社会は、情報通信インフラを抜きにしては語れなくなってきている。

今回の研究で着目したブータンは、わずか50余年前まで鎖国状態にあり、世界の諸問題を鑑みた上で、独自の開発政策に着手した。すなわち、自然環境保護と伝統文化保全を中心とした持続的開発という概念を、世界に先駆けて採用した。

その一環として、ICTの導入においても、極めて慎重な政策を採った結果、1999年になってようやく、テレビとインターネットが解禁されるに至った。解禁後、この10余年で着実に普及が進み、ブータンの社会を、そして人々を、一気に近代的な生活スタイルへと変貌させつつある。2003年には携帯電話のサービスが始まり、国土の大半が山岳地帯のため固定電話を敷くよりも安価である、という地理的要因も後押しして爆発的に普及し、重要なコミュニケーションツールとして定着した。

しかしながら、いまだ農業を主産業とし、工業が未発達のブータン社会において、ICTに関するヒト、モノ、カネのほぼ全てを諸外国に依存しており、自国内の研究開発は手付かずの状態にある。2008年に民主化を果たし、産業界においても民営化へと舵が切られたものの、農業人口は依然、国民のおよそ6割を占めている。特に、高度な技術力を必要とするICT関連産業の立ち上げは困難であり、民間企業は、政府系機関のアウトソーシング業やICT機器の輸入ベンダー業、外資系企業のサポートセンター業などの下流工程を担う数社に留まっている。

このような状況にあっては、当然、グローバル社会の中で時々刻々と変化するICTに翻弄され、結局、多くの先進国が既に体験し、多くの途上国が正に体験しようとしている社会問題を、ブータンも追体験する羽目になりかねない。ブータンの強みが、当初の開発概念が示している通り、豊かな自然環境と伝統文化にあるとするならば、それらを脅かすことのない、ほどよい情報化の深度を模索する必要がある。

我々は、情報化という字面から、高度に機械化された未来都市を想像しがちだ。しかし、最新技術を追い求めることがその本質ではなく、豊かな暮らしを持続させることこそが「情報化社会」のあるべき姿であるならば、そこで暮らす人々の文化と豊かな暮らしのために必要な情報とは、切っても切り離せない関係にある。ブータンの実情を通して、そうした関係性を明らかにしていきたいと考えている。

【発表要旨②】「ブータンにおける近代学校教育の歴史と現状―初等教育段階を中心に―」平山 雄大

1.発表の目的
本発表は、1961年以降5年おきに発行されているブータン政府の公式な開発計画である5ヵ年計画及び各種教育計画、統計資料等を用い、ブータンにおける学校教育の歴史と現状を、特に初等教育段階を中心に詳細に描写することを目的としている。

ブータンの国家的な課題は、環境保全に最大限配慮した節度ある近代化、及びブータン独自の文化や伝統を保持した近代化であると言われている。このような課題の遂行に向けて、学校教育にはどのような役割が期待されてきたのだろうか。また、「初等教育の完全普及」(Universal Primary Education: UPE)(以下、UPE)という国際的な開発目標を受け、ブータンにおける教育開発ではどのような取り組みがなされてきたのだろうか。5ヵ年計画で提示された目標及びその成果をたどることによって、学校教育の歴史の描写とともに、上記の疑問を明らかにしたい。

2.発表の概要
ブータン初の近代学校は1914年に設立されたが、学校教育が一般的に行われるようになったのは、第3代国王の治世である1950年代からである。当時の学校教育はほぼすべての側面においてインドのものを借用することによって成立していたため、必然的に教授言語には英語が採用され、国語(ゾンカ)を除くほぼすべての授業は英語で実施された。

5ヵ年計画はインド政府の強い後押しと全面的な財政支援を受けて始まったが、第3次5ヵ年計画以降のものは、他国との違いを明確にし、自国の独自性の確保を目指した計画である。初等教育においては、それは1980年代の「環境教育」や1990年代の「価値教育」科目の設置、及び「環境教育」の教授言語のゾンカへの移行等に現れていると言える。

教育の量的拡大は学校教育の導入以降一貫して大きな課題であり続けている。1980年代以降、政府は本格的に初等教育の普及に乗り出し、コミュニティ・スクールを通した教育の量的拡大が施され始めた。その後、5ヵ年計画は国際機関寄りの姿勢を打ち出し、教育開発目標も「2000年までのアクセス面でのUPE達成」をはじめとした国際的な潮流に沿ったものが採用されている。ただしそれらは、他の開発途上国におけるものと同様、無理のある目標であったと言わざるをえない。実際、ブータンのUPE達成に向けての目標は統一感が見られず、一定の成果は見せているものの迷走状態にある。

2002年には教育制度が改編され、1-6-2-2-2制となった。現行の第10次5ヵ年計画では、教育の量的拡大とともに質的向上が大きく謳われ、GNHの概念を学校教育に取り入れる方法も本格的に模索され始めている。国際機関等の影響力の強さから、開発途上国自体の主体性が薄弱になっている昨今、グローバリゼーションの流れとは意識的に一線を画し国の独自性を保つ努力を怠らないブータンの学校教育の歴史から、他の開発途上国が学ぶものは多いと考えられる。

【発表要旨③】「辺境から眺めたブータンのツーリズム政策―牧畜民の村メラを事例として―」脇田 道子

ブータン王国が長い鎖国状態に終止符をうち、正式に外国人ツーリストを受け入れたのは、1974年のことである。当時、「秘境」、あるいは「最後のシャングリラ」と呼ばれていたブータンは、その後、航空路の開設、インフラの整備等が進み、ツーリストの数は、1974年の274人から2008年の27,636人へと34年間で100倍に増えた。

ブータンのツーリズムは、「ハイバリュー、ローインパクト」を理想として成長してきたが、政府の開発政策と呼応して、貴重な外貨収入源、雇用創出の救世主としての期待はますます高まっている。

しかし、ツーリストが訪れる地域は首都を含む西ブータンに偏在し、観光資源に乏しく、インフラ整備が遅れた東ブータンは長い間その発展からとり残されてきた。そこで、その開発計画の目玉として白羽の矢が立ったのが、これまでツーリストの入域が禁じられていたインド国境地帯にあるサクテン、メラの二つの地区である。それぞれ人口2,000人前後の小さな村で、住民は牧畜民を意味するブロクパ(Brokpa)と呼ばれ、平地の人びととは異なる独特の民族衣装を着ていることで知られている。このサクテン、メラが2010年9月に「条件付き」でツーリストに開放された。

発表者の主たる研究対象は、隣国インドのアルナーチャル・プラデーシュに住むモンパ(Monpa)とよばれる人びとであるが、その関連で2006年、2007年、2008年の3回、特別入域許可を得てサクテン、メラに滞在した。2008年に観光局のスタッフが調査のためにメラにやって来たときに居合わせ、ツーリズム解禁の計画があることを知った。以来、特別な関心を持ってこの計画を見守ってきた。

この開放に関しては、ツーリストの来訪を現金収入の道ができると歓迎する声がある一方で、麓の村や首都の旅行会社が利益を得るだけで、地元が受益者となる可能性を疑う声、「伝統的な生活」が脅かされ、悪影響のほうが多いと危惧する反対意見もあった。これらの反対意見の中には、少数ではあるが、一般の人びとから異質に見える自らの生活文化がツーリズム導入によって「珍奇なもの」あるいは「後進性の象徴」として他者からレッテルを貼られ固定化されてゆくことへの懸念をいだく首都に住むブロクパの人びとのものも含まれている。

本発表の目的は、サクテンやメラへのツーリズムの導入が地域社会に与える影響を良いか、悪いかという二分法でとらえることではない。ブータン国民でありながら、ブロクパというマイノリティ集団に属し、辺境の山岳地帯に住み、歴史的、文化的には隣国インドのモンパとの紐帯がより強いという彼らのもつ複合的なアイデンティティの存在に注目し、そのかかわりの中でブータンのツーリズム政策を考察することにある。

ブータンへは1976年からほぼ毎年足を運び、35年間のツーリズムの変化を目にしてきた。その発展は確かにめざましく、賞賛する声が多いが、それをあらためて「辺境から眺める」視座で検討してみたい。

当日の様子

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