日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

第6回日本ブータン研究会

2016年5月29日(日)、早稲田大学にて、第6回日本ブータン研究会を開催いたしました。

※本研究会は、日・ブータン外交関係樹立30周年記念事業として実施されました。

概要

1. 日時

2016年5月29日(日) 10:00~16:30

2. 場所

早稲田大学 14号館B101教室
〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1

3. プログラム

10:00~10:30  開催趣旨/参加者自己紹介
10:30~12:00  発表①
         「ブータンのシングル女性に関する文化人類学的研究の可能性
         ―信仰心を理由とした非婚女性に着目して―」
         川村 楓子(東北大学大学院文学研究科博士前期課程)

12:00~13:00  昼食/休憩
13:00~14:30  発表②
         「東ブータンの土着信仰―女神アマ・ジョモの場合―」
         渡邉 美穂子(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科
         博士後期課程)

14:30~14:45  休憩
14:45~16:15  発表③
         「ブータン文化におけるあそび歌「ツァンモtsangmo」の位置づけ」
         黒田 清子(東京福祉大学国際交流センター特任講師)

16:15~16:30  講評等

4. 研究会参加者

28名

5. 懇親会

インド料理「Dharma(ダルマ)」
〒162-0041 東京都新宿区早稲田鶴巻町519-30-10

2016年5月29日(日) 17:30~
参加者 17名

6. 主催

日本ブータン研究所

発表要旨

【発表要旨①】「ブータンのシングル女性に関する文化人類学的研究の可能性―信仰心を理由とした非婚女性に着目して―」川村 楓子

ブータンには、出家をせず俗世に留まりながらも「宗教的な理由」から非婚を選択するシングル女性たちが存在する。発表者は彼女たちが経済的、宗教的にどのような生活をしているか、家族や親族とどのような関係性を築いているか、社会にどのように位置付けられるかといった点に着目し、「宗教的な理由」によって非婚というカテゴリーに自ら留まろうとする戦略にはどのような意味があるのかを明らかにすることを目的としている。

人類学ではこれまで、主に社会を構成し存続させる基本的構成単位とされる家族や親族に焦点を当てた研究を行ってきた。そのため、社会の中で「ひとり」でいる人についての注目度は低く、配偶者なき人びとをマイノリティとして位置付けてきたのである(椎野2014a)。従来のシングル女性に関する人類学的研究では、社会を形成する親族関係から「逸脱」するのではなく、その主たるシステムを補完する役割を持つシングルがいること、また所与の家族親族の関係性の中から脱したシングルたちが疑似的家族と疑似的親族関係を築く傾向にあることが論じられてきた(椎野2014b)。例えば中国広東省珠江デルタにおける「自梳女」のように、社会の中にシングルという生き方が制度的に保証されている、少なくとも非婚という選択肢が用意されている社会も存在するが、チベット系諸社会の一つであるネパール・ヨルモ社会のように、結婚することが強固な規範となっている社会においては、シングル女性たちが規範から逸脱した存在として周縁化され、ともすれば不可視な存在に落とし込まれている例も少なくない。

経済的な基盤が形成されていることは女性がシングルとして生きていく上での重要なファクターであり、シングル女性に関する研究の対象となってきたのも、そのほとんどが工業化した、もしくはその過渡期にある社会であった。また、従来のシングル女性に関する研究の事例は父系的な社会を対象としたものがほとんどであり、よってその議論は父系社会の構造を前提にして進められてきた。しかしながら、ブータン西部のように、女性どうしのつながりが基盤となっている母系的な社会では、シングル女性の生き方や位置づけ、家族との関係性の構築の仕方などが大きく異なっている可能性が考えられる。

確かに、地域やエスニシティによって大きな差異が見られるブータンにおいて、結婚・家族を一般化することは困難ではある。しかしその一方では、結婚が労働力や老後の保障を確保する機能を担っているという点で共通項を見出すことはできるだろう。ブータン社会において結婚は、単なる「恋」や「愛」のためではなく、より良い生を目指す上での紐帯を強化・構築するための一つの方途であるという面が大きい。したがって、ブータン社会で女性がシングルとして生きるということは、これらのセーフティーネットを得る最も容易な方法を自ら手放すことを意味している。実際に、ブータンのシングル女性については、女性が結婚せず、土地も持っていない場合は経済的に脆弱な状況に追い込まれるリスクが高いという指摘がある(Martin 1997)。ここからも、ブータン社会において「結婚をする」という規範が脆弱なものではないことが想定される。では、そのような情況においてもなお、女性たちが未婚というステータスに留まることを選択するのにはどのような背景があるのだろうか。

発表者がブータン滞在中に出会った30~70代の女性の中に、なぜ未婚なのかを尋ねると「私はアネム(尼僧)ではないけれども、仏教を深く信仰するために、結婚しなかったし、これからも結婚することはない」と答えてくれた人たちがいた。つまり、非婚の理由を仏教への信仰によって説明しているわけである。本テーマはその女性たちの語りや生活実践から着想を得たものである。

本発表では、まずブータン社会において結婚が意味するものとは何かを説明し、その上で未婚の状態にあることを宗教的な理由で説明する女性たちの生を、ジェンダー宗教論、南アジアの現世放棄・出家研究、エイジェンシー論といったアプローチから考察することを試みる。

【参考文献】

  • Martin Brauen (1997) “A village in Central Bhutan”, in Bhutan: Mountain Fortress of the Gods, Christia Schicklgruber & Francoise Pommaret (eds.), pp.43-59. New Delhi: Bookwise.
  • 椎野若菜編(2014a)『境界を生きるシングルたち』京都:人文書院。
  • 椎野若菜編(2014b)『シングルのつなぐ縁』京都:人文書院。
【発表要旨②】「東ブータンの土着信仰―女神アマ・ジョモの場合―」渡邉 美穂子

本発表は、首都ティンプーから車で2日の道のりを経てたどり着く東ブータン、タシガンに焦点をあて、チベット仏教だけでは語り尽くすことができない同地の土着信仰の世界を、アマ・ジョモを手掛かりに解明することを試みる。

ブータンの国土は日本の九州ほどだが、その土地に宿る神様は400を超えると言われており、人々は土地の神々を畏怖しその神々とともに生きている。国語のゾンカ語とは異なるツァンラ語を話し、文化的にも西とは異なった表情を見せているタシガンは、アマ・ジョモという女神にまつわるストーリーに彩られている。特にメラ・サクテンに暮らすブロッパ(Brokpa)の祖先は、チベットのツォナ(錯那)より女神アマ・ジョモに率いられてこの地にやって来たとされており、このアマ・ジョモの影響力の強さは、語り継がれてきた彼女にまつわる伝承の多さから窺い知ることができる。

アマ・ジョモは、メラ・サクテン以外の場所でも信仰の対象となっており、その代表として挙げられるのがカリンとラディである。土地の神様を祀る場所であるゲンカン(Genkhang)はラカン(Lhakhang)と並んで建てられていることが多いが、カリンとラディのゲンカンにはアマ・ジョモが祀られている。チベットからやって来たアマ・ジョモは元来そこにいた土地の神様とともに祀られており、例えばラディのゲンカンの壁画にはアマ・ジョモが中央に配置され、彼女を取り囲むようにしてラディの山の神ツォンツォン・マやその他の土地の神々が描かれている。このように、外からやって来たアマ・ジョモがこの地で女神となり、元来の土地の神様と同じように崇拝されるようになった点が非常に興味深い。

文字をもたないツァンラ世界でのアマ・ジョモ崇拝という土着信仰は、代々語り継がれてきた伝承、彼女がそこにいたとされる形跡や遺跡、彼女がチベットから持ってきたとされる宝や経典によって今なお残されている。発表者は、特に「伝承」の持つ重要性に着目し、その伝承を今に伝えてきた年配世代から直接話を聞くことを主要手段とし、現地に暮らしながらアマ・ジョモにまつわるストーリーを収集した。カンルンを拠点に2013年10月から2016年3月まで暮らした際に実施したフィールドワークの記録を基に、地域の人々の暮らしの様子を織り交ぜながら東ブータンの土着信仰を読み解く。

【発表要旨③】「ブータン文化におけるあそび歌「ツァンモtsangmo」の位置づけ」黒田 清子

これまでブータン王国の文化、特にあそび歌「ツァンモtsangmo」の実態について伊野義博(新潟大学)を中心に共同で調査・報告をおこなってきた。西ブータンのパロ(Paro)、古都プナカ(Punakha)、中央ブータンのトンサ(Trongsa)、東ブータンのタシガン(Trashigang)というように、ブータンの東西を結ぶ街道を西から東へツァンモの存在の有無や状況を把握するため調査を行ってきた[伊野・黒田2014][伊野ほか2014][伊野ほか2015][権藤ほか2015]。その結果、ツァンモはブータン各地に広く伝承されていることがわかってきた。ツァンモは、国語であるゾンカ(Dzongkha)で歌われる一方、各地の方言でも歌われていた。共通する旋律がある一方、地域特有の旋律も確認された。2014年の調査では、東部ブータン山間部のメラ村(Merak)においては、ツァンモではなくカプシュー(Khapsho)とよばれる類似のあそび歌の存在を確認し、報告を行った。

ツァンモは、6音節4行詩の全24音節から成る詩が、一定の旋律にのせて歌われる。歌詞は決まった言い回しがある一方、即興的につくることもある。歌によって2組もしくは2グループで対決をしたり(ツァンモ・ツェニtsangmo cheni)、互いの相性を占ったりする(ツァンモ・モタプニtsangmo motapni)あそび歌である。これまでの調査によると、ツァンモは法要や正月など行事により人々が集まった時に行われたり、村対村など対決の形で行われてきた。特に、年に2、3カ月間、牛や羊などの放牧に出かけた子どもたちが夜集まってツァンモで遊んだり、とうもろこしの皮むきなどの作業の際、眠くならないようにツァンモを歌ったという。しかし、ここ20、30年の生活形態の急速な変化によりツァンモは歌われなくなっている。一方で、ツァンモがブータン「伝統」音楽であることも認識されており、学校教育やラジオ番組の中でツァンモが取り入れられつつある状況も確認してきた。

2015年の調査では、ウォンディポダンにあるサムテガン・セントラル・スクールにおけるツァンモ大会、パロ教員養成大学のツァンモの授業見学など、学校におけるツァンモの実態を共同で調査し報告をしてきた。さらにラジオ局のツァンモの番組担当者、ブータンの音楽教育者ジグミ・ドゥッパ氏へのインタビューなどにより、少しずつではあるが、ツァンモの実態、歴史的背景、地理的拡がりがみえてきた。今回ここ数年、短期間であるが毎年ブータンに通うことによりわかってきたことを報告したい。

【参考文献】

        

  • 糸永正之 1986 「ブータンの「相聞歌」―交互唱による対面伝達行動の予備的研究―」『学習院大学東洋文化研究所研究報告』No.21 学習院大学
  • 伊野義博 2012 「ブータン歌謡ツァンモ―掛け合いと占いの諸相―」『民俗音楽研究』第37号 日本民俗音楽学会 pp.1–12.
  • 伊野義博、黒田清子 2014「ブータンのツァンモ、掛け合いと占いの諸相―プナカにおける調査から―」『民俗音楽研究』第39号 日本民俗音楽学会 pp.37–48.
  • 伊野義博、黒田清子、権藤敦子、ペマ・ウォンチュク2015「ブータンのあそび歌 ツァンモとカプシュー―トンサとタシガンにおける調査から―」『民俗音楽研究』第40号 日本民俗音楽学会 pp.1–12.
  • 権藤敦子、伊野義博、黒田清子、Pema Wangchuk 2015「歌唱における学習過程の再考―ブータン歌謡ツァンモの調査をてがかりに―」『初等教育カリキュラム研究』第3号 広島大学大学院教育学研究科初等カリキュラム開発講座 pp.23–35.

当日の様子

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