日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

第5回日本ブータン研究会

2015年5月31日(日)、早稲田大学にて、第5回日本ブータン研究会を開催いたしました。

概要

1. 日時

2015年5月31日(日) 10:00~16:30

2. 場所

早稲田大学 14号館201教室
〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1

3. プログラム

10:00~10:30  開催趣旨/参加者自己紹介
10:30~12:00  発表①
         「ブータン農村部におけるフード・セキュリティ
         ―土地所有の状況に着目して―」
         上田 晶子(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授)

12:00~13:00  昼食/休憩
13:00~14:30  発表②
         「ブータン王国における高齢者の健康」
         坂本 龍太(京都大学白眉センター助教)

14:30~14:45  休憩
14:45~16:15  発表③
         「ブータンにおける古街道の実態の包括的解明」
         高橋 洋(日本ブータン研究所研究員)

16:15~16:30  講評等

4. 研究会参加者

42名

5. 懇親会

欧州料理キッチン「ビストロ ATTON」
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1-22-2
http://atton-t.jimdo.com/

2015年5月31日(日) 17:30~
参加者 24名

6. 主催

日本ブータン研究所

発表要旨

【発表要旨①】「ブータン農村部におけるフード・セキュリティ―土地所有の状況に着目して―」上田 晶子

本発表は、2009年から2014年までブータン農業省と共同で行った聞き取り調査をもとに、農村部におけるフード・セキュリティの状況について分析をするものである。ブータン農村部におけるフード・セキュリティの状況については、これまで、ブータン政府発行のBhutan Living Standard Surveyや、Poverty Analysis Report等において報告がされてきている。例えば、Poverty Analysis Reportにおいては、「十分」な食料の量を、摂取カロリーによって定義し、フード・セキュリティの状況を分析しているものである。

いうまでもなく、食料の確保の状況は、多くの複合的な要素に依っている。世帯ごとに異なる食料の確保の状況を説明するには、それらの要素が複雑にからみあった様相を分析する必要がある。人類学の視点からフード・セキュリティの分析に取り組んだヨハン・ポチエもその著書『食糧確保の人類学』のなかで、労働、土地所有の形態、そして市場といった、フード・セキュリティに密接に絡んだ要素を検証している。ブータンのフード・セキュリティの分析においても、草の根のレベルのフード・セキュリティの状況に大きな影響を持つ要素を特定し、それらの要素がどのように連鎖しあって、個々の世帯のフード・セキュリティの状況に影響を及ぼしているのかを、つぶさに分析する必要がある。

現在進めている研究においては、労働、土地所有の形態、カネとモノの動きを、ブータンの農村部でのフード・セキュリティの状況を説明する主要な要素とみなし、それらが連関する様相の分析を行っている。そのなかでも、本発表においては、土地所有の形態に焦点をあて、各世帯のフード・セキュリティとの関係を検証する。ブータンの農村部における人々の生業は、標高差に由来する気候の違いや水の状況などによって異なっている。人々は、可能な限りそれらを組み合わることによって、ともすると脆弱なフード・セキュリティの状況を補っているように観察される。本発表では、標高の違うところに土地を所有すること、そして、土地所有の形態(所有者か、借地人か)の二つの要素に着目し、それぞれがフード・セキュリティの状況とどのように連関しているかについて検証する。ブータンの農村部は、稲作が主な地域と畑作が主な地域に大別することができ、本発表は、それら二つの地域の比較も試みるものである。

上記の検証の結果、標高の違う場所に土地を所有することは、世帯のフード・セキュリティを高める要因になっていると理解できる。その一方で、土地所有の形態は、畑作地と稲作地で、土地の賃借に関する慣習的な取り決めが大きく異なり、フード・セキュリティを高める効果は、畑作地と稲作地では、大きく異なることが明らかになった。土地所有に着目して得られる知見は、主にこの二つであるが、最近の農村部からの人口の流出は、フード・セキュリティを考える上で大きな要素になっており、上記の検証から理解されることは、「労働力が十分である」ことを前提としてのものである。

【発表要旨②】「ブータン王国における高齢者の健康」坂本 龍太

ブータン東部のカリン診療所には老若男女を問わず様々な患者さんがやってきた。老人性眼瞼内反、弾発指、急性咽頭炎、腰椎椎間板ヘルニア、ウィルス性感冒、肥満、高血圧、頚椎症、変形性膝関節症、心房細動、逆流性食道炎、緊張性頭痛などなど様々な疾病を認めた。村で急病が出たとき、カリンの診療所まで病人を運ぶのは一苦労である。村人が何時間もかけて診療所まで運んでも、そこでCT検査ができないのはもちろんのこと、単純X線写真や心電図もとることができない。疾患にもよるが診療所から丸2日から3日かけて首都ティンプーに、場合によっては外国に送らなければ治療ができないことも多いのである。プジャと呼ばれるおまじないやドゥクラハン(毒吸男)という方が呼ばれ、診療所や病院にかかることなく、家でそのまま亡くなる方も多い。

カリンの高齢者の7割以上に高血圧を認めた。そのうち約半数は今まで一度も高血圧を指摘されたことがなかった。高血圧の発症には様々な要因が関与しており、その大部分は原因がはっきりとわかっていない本態性高血圧である。本態性高血圧の危険因子には、家族歴、ナトリウム過剰摂取、アルコール過剰摂取、肥満、高脂血症、攻撃的で短気な性格等が挙げられる。アルコール依存症のスクリーニングに用いられるCAGEテストで引っかかる方の割合は男女とも3割を超した。ブータンで普及しているビールのアルコール度数は約8%と約5%の日本のビールと比べかなり強い。アラという焼酎はほとんど全ての家にあり、各家で独自にトウモロコシなどからアラを醸造していることが多いのだ。肥満については、カリンの高齢者では約6%であった。過体重を合わせると4人に1人ほどになり、体重が重い方ほど血圧が高い傾向がみられた。ナトリウム過剰摂取については、ある村人は「塩分摂取は健康にいいことだという意識がある」と話した。内陸に位置するブータンでは海産物の入手が困難なためヨード欠乏症が多かった。1983年にはヨード欠乏に伴う甲状腺種の罹患率が64.5%と報告されたのであった。そこで、その翌年にヨード欠乏制圧計画が発足され、そのまた次の年にはプンツォリンにヨードを加える工場が設置され、国内で売られる全ての塩はこの工場でヨードを加えなければならなくなった。結果として1991年から1992年にかけて行われた調査で甲状腺腫の罹患率は25%に低下し、2001年には5%に低下した。2003年世界保健機構及びユニセフからの評価チームはブータンにおけるヨード欠乏症の撲滅という評価を下した。この成功の一方で、村人の高血圧に関係している可能性を考慮する必要があるだろう。ヨードの一日の必要摂取量である0.15mgを塩のみでまかなうとしてもヨード含有量15ppmの塩であれば一日十グラム摂取すれば足りる計算になる。過度な塩分摂取はやはり避けるべきである。

カリンにおいて、日常生活機能に問題があった方の中に脳卒中の後遺症を疑う方を複数認めた。カリンにおいても脳卒中または虚血性心疾患により死亡した患者が多く存在してきたことが推察されるのである。地区内には5つの出張診療所があり、出張診療が月に一度開かれる。各出張診療所につきその地域に暮らす村の保健担当係が1名おり、これを補佐する。村の保健担当係は基本的に無報酬のボランティアであり、我々の地区の村の保健担当係は5名全員が農業で生計を立てているのである。すでに母子保健で重要な役割を担う彼らに、現行のままの仕組みで次々と負担を増やせば農閑期であればまだしも農繁期には手が回らない可能性がある。保健スタッフが村や学校と協力しながら現時点での知識を村人全体が共有しながら今後の策を検討し、進めていくことが重要である。特に、高血圧や肥満は村人が知識を持って協力し合えば、カリン地区においても、現実的に十分に管理が可能ではないだろうか。

【発表要旨③】「ブータンにおける古街道の実態の包括的解明」高橋 洋

ヒマラヤ山中の孤絶した環境と誤解されることの多いブータンだが、そのすぐ東西にはヒマラヤを越えてインド、チベットを結ぶ古くからの重要な交易路があり、国家としてのブータンの成立や発展は、これらヒマラヤ交通やシルクロードと密接に結び付いている。街道で結ばれた周辺地域との経済的、文化的、政治的関係を無視してブータンの歴史を語ることはできず、また、国内の地域文化の発展もそういった国際的な幹線道路と接続する国内幹線道路「シュンラム(国道)」と切り離しては語れない。

近代化が本格化するのが21世紀に入ってからだったこともあり、ブータン国内の古街道は20世紀の終わりまでほぼ中世同様の状態で維持されてきた。また、現在でも一部の地域では牛馬を使った日常的な移動の手段として古街道が利用されている。しかしながら、21世紀に入って急速に進んだ近代化、特に自動車道路の建設は、こういった古街道をそのままブルドーザーで整地するといった形で進められることが多く、昔ながらの古街道は急速に姿を消している。一方、1960~1970年代に建設が進められた国内幹線道路網が旧街道と別ルートをとった地域では、何百年にもわたって国際主要幹線道路であった旧街道がうち捨てられ、一部ではすでにたどることさえ難しくなっている。

歴史的な文献資料に乏しいブータンではこれら古街道についての記録は少なく、また、近年まで日常的な存在であったが故に、重要な史跡として保存していこうという意識に乏しい。一例を挙げると、これらの街道には主要河川を渡るための重要な橋梁が存在していたが、これらは自動車道路建設の際などに単純に破壊され、史跡としての保存はおろか、考古学的調査も行われていない。伝記によれば13~14世紀にチベットの高僧タントン・ギャルポはブータン国内に7つ、または8つの橋を建設したという。そのほとんどは古街道の重要な渡河点に設置されたと考えられ、19世紀までは半分以上がほぼ建設当時のままの姿で残っていた。現存していれば国家的重要文化財であるはずだが、現時点ではひとつも現存しておらず、1ヵ所で復元されている他、ほぼ記録・保存の努力がされていないため所在地さえ不明となっている。

こういった状況の中で、ブータンの古街道の全体像を解明するため、まず仏教僧の伝記を中心とした中世チベット語文献資料、及び18世紀以降の英領インド政府資料、探険記を精査し、文献記録による古街道のルート及び利用状況、分岐点、宿場、国境などの情報を、地理情報システム(GIS)を用いてデータベース化した。さらに、これら文書記録に乏しく、また現在の自動車道路網と古街道のルートが大きく異なる地域、特に東南部では、現地調 査で旧街道を踏破し、周辺地域住民への聞き取りなどによって、かつての利用状況や現在に至るまでの変化を確認した。

ブータンの歴史・文化を彩るゾン(城塞)、ゴンパ(僧院)、ネ(聖地)の多くは古街道沿いにある。古街道の調査によってチュカ・ゾン、シャリカル・ゾン、ラナンゾル・ゾンなど20世紀初頭まで国家的に重要であったはずなのにその後忘れ去られているゾンの存在や、歴史的に重要だがそのことがあまり認識されてこなかった寺院の存在も明らかになった。ブータンでは複数の言語が話されているが、その理由として急峻な渓谷や急流によって交通が遮断されるという地理的要因があげられることが多い。そのことを実証するためにも、ではどの地域とどの地域は街道や橋によって結ばれていたのかを解明することが重要となる。旧街道の距離感は現在の自動車道路網の距離感とは大きく異なっており、国内交通はもちろん、近隣地域との交通ではさらにそれが言える。古街道の解明はあらゆる分野のブータン研究に新しい視点を与えてくれるはずだ。

当日の様子

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