日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

第3回日本ブータン研究会

2013年5月12日(日)、早稲田大学にて、第3回日本ブータン研究会を開催いたしました。

概要

1. 日時

2013年5月12日(日) 10:00~16:45

2. 場所

早稲田大学 7号館114教室
〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1

3. プログラム

10:00~10:30  開催趣旨/参加者自己紹介
10:30~12:00  発表①
         「ブータンヒマラヤの氷河・氷河湖とその周辺」
         小森 次郎(帝京平成大学現代ライフ学部講師)

12:00~13:00  昼食/休憩
13:00~14:30  発表②
         「ブータン仏教の歴史的展開」
         熊谷 誠慈(京都大学こころの未来研究センター准教授)

14:30~14:45  休憩
14:45~16:15  発表③
         「中ブ国境交渉を軸にしたブータン国境画定問題の経緯」
         高橋 洋(日本ブータン友好協会幹事/『地球の歩き方』ブータン執筆)

16:15~16:45  講評等

当日は森 靖之様(元JICAブータン事務所長/日本ブータン友好協会副会長)にご出席いただき、コメント及びご講評をいただきました。

4. 研究会参加者

58名

5. 懇親会

インド料理「Dharma(ダルマ)」
〒162-0041 東京都新宿区早稲田鶴巻町519-30-10

2013年5月12日(日) 18:00~
参加者 29名

6. 主催

日本ブータン研究会実行委員会

7. 協力

GNH研究所 http://www.gnh-study.com/
日本ブータン友好協会 http://www.japan-bhutan.org/

発表要旨

【発表要旨①】「ブータンヒマラヤの氷河・氷河湖とその周辺」小森 次郎

2009年7月から2012年3月まで、私はJICA専門家として経済省地質鉱山局の氷河部門に派遣された。本報告ではこの駐在によって明らかになった、もしくは気づかされたことについて報告する。調査で訪問した地域はジョモラリ、リンシ、ラヤ、ワチェ、ルナナ、チャムカー川源流の各氷河域とその周辺である。限られた経験と知識であるので間違った認識もあるかもしれない。当日はご意見・ご指摘を頂戴できれば幸いである。

ブータンヒマラヤにおける近年の氷河変動と氷河湖決壊
ヒマラヤ山脈には多くの山岳氷河が存在する。これらの氷河は、特にヒマラヤ山脈中部から東部において19世紀以降(小氷期以降)の温暖化によって縮退を続け、現在の氷河末端の下流側には自らが形成したモレーン(堆石)が存在する。条件によっては、モレーンを堤体として水がたまることで氷河湖が出現しているが、天然のダムであることからこれらは稀に決壊する。規模が大きければ深刻な洪水に至るため、ヒマラヤ諸国では大きな問題とされている。

我々のプロジェクト(*)は、これらの湖が実際にどれほど危険な状態であるかをブータン側カウンターパートと共に調べることであった。プロジェクト自体は大きなトラブルもなく無事に終了し、今まで危険であるとしてリストアップされていた湖の多くが切迫した状態ではないことと、一部を除いて決壊しても大きな洪水に至らないことが明らかになった。またブータンを含めたヒマラヤ山脈東部において、モレーンを堤体とするタイプの氷河湖については、ほとんどの決壊が1970年代までに発生したものであり、今後の発生頻度が上がることは考えにくいこともわかってきた。これらのことは、ブータンをはじめ温暖化の影響を危惧するヒマラヤ周辺国では今まで示されていないことであり、結果の捉えられ方は複雑であった。本報告の前半ではこれらの詳細とブータンにおけるそれ以外の自然災害について紹介する。

氷河地方の人びと
当初、ブータンの北側のへりとなるヒマラヤ山脈を考えた時、これを私は「壁」とイメージした。実際に現在はこの方向に国交はない。しかし、そこには氷河に削られてできたU字谷があり、厳しい峠も季節を選べば移動が可能である。またヤクという、おとなしく物を運び、なお且つ衣にも食にも財にもなる多機能な動物を大量に使うことで集団での移動ができる。「壁」と思わせた山脈は、盛んな流通を可能にさせる場所であったのだ。知っていて当然のことかもしれないが、氷河湖調査で馬やヤクに世話になったことで私はようやく気付かされた。

この地域の成立は、氷河からの融氷水や浸食(氷食)による地形や堆積物と密接に関係しているため、私は「ブータンの氷河地方」と呼んでいる。近年、高収入となる氷河湖の水位低下工事への従事や、漢方薬として高額取引される冬虫夏草の採取、若手の都市部流出、携帯電話の開通といった影響から、この氷河地方の社会も変わりつつある。本報告の後半では現地で採取した若干のデータと写真を中心にその特徴を紹介する。

*「ブータンヒマラヤにおける氷河湖決壊洪水に関する研究プロジェクト」(代表者は西村浩一名古屋大教授)。JICAとJSTによる地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(通称SATREPS)の一つで技術移転と国際学術研究を目的とした。ブータンに関わる既存の研究成果やJICA現地事務所による事前調整といった努力を経て得られた貴重な機会であった。

【発表要旨②】「ブータン仏教の歴史的展開」熊谷 誠慈

ブータン王国憲法にも明確に述べられているように、仏教はブータンの伝統宗教として同国の文化的根幹をなしている。よって、ブータン仏教抜きにはブータンを真に理解するには至らない。本発表では、仏教がどのようにブータンに伝えられ、彼らが受容していったのか、インドおよびチベット文化圏全体から、その歴史的展開の大枠を概説する。

ブータンおよびブータン仏教の歴史については大きく以下の4つに区分を提唱したい。
1. 吐蕃王朝期(7~9世紀)
2. チベット仏教展開期(11~16世紀)
3. ブータン仏教期(17~19世紀)
4. ブータン王朝期(20世紀)

1.吐蕃王朝期(7~9世紀)
吐蕃王朝の創立者であるソンツェンガンポ王(-649)は、仏教に帰依し保護したと伝えられる。ブータンにも、パロのキチュラカンやブムタンのジャンパラカンなど、ソンツェンガンポ王が建立したと言われる寺院が存在する。両寺院が同王によって本当に建立されたのかどうかは疑問が残るが、この時代には、ブータンには統一王朝は存在しないため、あくまで吐蕃王国の1地域として仏教が伝播していったものと考えるのが妥当であろう。

2.チベット仏教展開期(11~16世紀)
すでにこの時代には、ニンマ派を含めたラマ5派がブータンで活動していたとされる。ブータンの国教たるドゥク派は13世紀頃より西ブータンを中心に布教を活動しはじめた。ただし、本山のラルン寺はチベット側に存在していたため、ドゥク派にとってブータンはあくまで布教対象地に過ぎなかった。

3.ブータン仏教期(17~19世紀)
シャプドゥン・ガワン・ナムゲル(1594-1651)は、座主継承争いに敗れてブータンに亡命し、その流れでブータン全土を統一した。以後、ブータンは政治的には明確にチベットとは異なる独立王国となった。チベットではゲルク派政権を中心としてニンマ派、サキャ派、カギュ派の4大宗派が割拠していたが、ブータンではニンマ派とドゥク派(カギュ派の一派)の2宗派のみが存在し、特殊な宗派分布を構築していった。この時代には、チベットとの国境が遮断されたことで、ブータン特有の仏教文化が熟成されるようになった。

4.ブータン王国期(20世紀)
1904年に、ウゲンワンチュクが初代ブータン国王となり、ブータンの国家体制は、それまでの宗教政権から世俗政権へと大きく変わった。伝統宗教として仏教はなおも大きな影響を持ち続けているが、国家権力とは切り離されつつある。

【発表要旨③】「中ブ国境交渉を軸にしたブータン国境画定問題の経緯」高橋 洋

ブータン王国の国境線の位置は資料によってさまざまなバリエーションがあり、それは政府発行の公式地図にもあてはまる。国境線のかなりの部分が未踏峰や密林といった自然地形に阻まれていること、近年まで正確な測量、地図出版のノウハウがなかったことといった技術的な理由もあるが、中国政府との間の未解決の国境交渉の過程で国境の見直しが行われたことが主な理由であると説明されることが多い。また、このことと、ブータン政府が現在採用している38,394平方キロという国土面積が、過去に発表されていた46,000キロ前後から大幅に縮小していることを結びつけ、ブータン政府が中国政府に対して国境交渉において大幅な譲歩を余儀なくされたためであるとする言説も見られる。

しかしながら、中ブ国境交渉の経緯と、実際の紛争地域を資料に基づいて検証した結果、こういった理解はほぼ的外れであり、ブータン政府の公式見解とも全くことなっていることがわかった。一例を挙げるとブータン政府が現在までに公刊している地図は時代によってそれぞれ国境線が微妙に異なっており、また、その変化のなかで1986年から2012年まで20回に及んだ国境交渉の経緯と連動していると推測できるケースはひとつも確認できなかった。たとえば、旧国境線から大きく後退した北部クーラカンリ西側の領域は1,300平方キロ前後しかなく、国土面積の新旧差とまったく一致していない。

さらに、実はインドとの国境が画定したのも2006年と比較的近年であり、その経緯ではむしろ対中国以上の複雑な事情があったと推測できること、現時点でブータン政府、中華人民共和国政府の主張境界線が食い違っている部分のうちブータンが実効支配している面積のほうが大きいと思われること、実は中国より台湾(中華民国政府)との間に大きな主張国境線の食い違いがあること、といった興味深い事実も判明した。現在使用されている国境や国土面積をブータン政府が公式に採用した時期や経緯についても、一般に流布している認識は大きく事実と異なっている。

国境問題という、国家の最重要事項に関して、このように基本的な事実が確認されないまま、現在に至っているひとつの理由は、最初に述べたように信頼の置ける精密なブータン地図の入手が不可能でマスコミの既存の報道や研究は報道も含めて実際の状況を確認しないままイメージと推測によってのみ語られていたという理由が大きいだろう。そのため今回の調査では、最新のリモートセンシング技術を応用した地理情報データベース(GIS)をまず構築し、その上に各種情報を重ねていくという手法をとった。

とはいえ、国境問題は当然ながら関係諸国それぞれに視点や利害があり、それが情報バイアスとなる。なにより、先行研究・報道はその点を考慮しておらず、インドのソース、あるいはその影響が大きいブータンのマスメディアのみを基本資料としていることが問題の全体像や核心部を見えにくくしているもうひとつの大きな理由である。本発表の主眼となるのは、関係国の主張の是非ではなく、むしろそういった議論の前提となる客観的事実の整理である。

当日の様子

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