日本におけるブータン研究の基盤形成を目指して
Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

日本ブータン学会第7回大会

※2017年からは、これまで日本ブータン研究所が主催していた日本ブータン研究会を発展させるかたちで、日本ブータン学会の研究大会が開催されています。

2023年10月21日(土)、オンラインにて、日本ブータン学会第7回大会を開催いたしました。

概要

1. 大会日程

2023年10月21日(土) 13:00~17:00

2. 開催方法

Zoomによるリアルタイム配信

3. 大会プログラム

13:00~13:10  開会挨拶

13:10~13:50  発表①
         「ブータン王国における政教関係のあり方
         ―ブータン王国憲法および同国法における宗教関連規定の検討―」
         中東 聡子(元・神戸大学大学院)

13:50~14:30  発表②
         「農村におけるコミュニティ・ツェチュの実践と存続形態
         ―タシガン県バルツァムの事例から―」
         石内 良季(京都大学大学院)

14:30~15:10  発表③
         「東ブータンにおける焼畑集落と有機農業の関係
         ―サムドゥップ・ジョンカル県・メンチャリ集落の事例から―」
         生駒 忠大(京都大学大学院)

15:10~15:20  休憩

15:20~16:00  発表④
         「オーストラリアにおけるブータン人コミュニティの形成と拡大
         ―歴史的背景に着目して―
         菊川 翔太(京都大学大学院)

16:00~16:40  発表⑤
         「ブータン人海外留学者における準拠集団と自己認識
         ―「準拠集団理論」とエスノメソトロジー分析からの考察―」
         佐藤 美奈子(京都大学)

16:40~17:00  諸連絡

4. 大会参加者

67名

発表要旨

【発表要旨①】「ブータン王国における政教関係のあり方―ブータン王国憲法および同国法における宗教関連規定の検討―」中東 聡子(元・神戸大学大学院)

本発表の目的は、歴史的に、大乗仏教との結びつきが深い国であるブータン王国(以下、「ブータン」)において、近代化・民主化の採用による政治体制の移行に伴う、政教関係のあり方と信教の自由保障の変化および特徴を憲法および法律における宗教関連規定から検討することである。

近代市民社会において、「国家は、個人の内面の信条や信仰に介入することはできず、全ての宗教を平等に扱わなければならないという、政教分離、信教の自由の原則」が存在する(池澤 2018,2)。その一方で、国際人権文書においては、国家と宗教集団との関わり方における特定の形態、たとえば、厳格な政教分離が普遍的な原則であるとして、導入を促すような言及は看取されない。実際の国々の政府と宗教の結びつきの度合いおよび特質を研究した政治学者であるFox(2008,78-79)によると、2002年の調査において、4分の3以上もの国で、国家による宗教介入が行われているという事実が示されている。つまり、各国、それぞれの歴史的、文化的背景によって構築されてきた独自の価値観や現状と、近代国家概念や近代人権思想との調和を図って、その国の政教関係のあり方を決定しているといえる。このように、各国の政教関係のあり方は一様ではないにもかかわらず、憲法学における政教関係の分類や諸理論は、政教分離的な要素に基づいている傾向があることに加え、西欧キリスト教諸国の政教関係に基づいた概念であるということを鑑みると(村松 1997, 池澤 2008)、キリスト教ではない宗教との結びつきを有してきている国の政教関係のあり方においては、適合させることが難しい場合も想定される。

したがって、本発表では、憲法学の視点だけでなく、ブータン社会の歴史や文化、そして、ブータンのあり方を構築してきた仏教的価値観を基に、憲法における宗教関連規定を考察することを課題としている。

具体的には、まず、憲法制定前までの法および法律と仏教のつながりについて触れたうえで、2008年に公布されたブータン初の憲法における宗教関連規定を概観する。本発表では、国家と宗教のあり方、また、国王と宗教のあり方に焦点を当て、憲法が示す宗教のあり方への考察を行う。次に、ブータンの属する南アジア地域の国々、イギリス、そして、ブータンと同じく仏教と結びつきがあり、立憲君主制である国々の憲法規定との比較考察を行い、ブータンの政教関係のあり方は、いかような特徴を有しており、いかように解することができるのかといった点を検討する。さらに、宗教関連規定を有するブータンの法律の規定内容も参照し、ブータンの政教関係のあり方の実態への理解を試みる。

なお、本発表では、比較対象国の憲法規定との比較を行うにあたり、比較対象国の現行憲法を概観するのではなく、ブータン王国憲法の第3次最終草案が公表された2007年8月以前に施行された憲法を参照している。

【引用文献】
Fox, Jonathan. (2008) A World Survey of Religion and the State. New York: Cambridge University Press.
池澤優(2018)「序論 公共圏と宗教のせめぎあい」―――編『いま宗教に向きあう4 政治化する宗教、宗教化する政治〈世界編Ⅱ〉』岩波書店.
松村比奈子(1997)『政教分離原則の適用基準に関する研究――目的・効果基準の再構成――』成文堂.

【発表要旨②】農村におけるコミュニティ・ツェチュの実践と存続形態―タシガン県バルツァムの事例から―石内 良季(京都大学大学院)

ブータンにおいて、農村から都市・海外への人口流出が大きな問題となっていることは周知の事実である。特に中部および東部ブータンからの人口流出は顕著であり、このような過疎地域では、労働力不足や耕作放棄地・獣害の拡大に加えて、地方農村で行われる小規模な祭りの存続が困難になる事態が発生している。

文化人類学や宗教社会学において、集団的な儀礼や祭りは、そこに住まう人々の参加を通じて、地域に固有の世界観や価値観を共有する場であることがこれまで論じられてきた。ゆえに、これらの儀礼や祭りを継承・維持できるかどうかは、コミュニティの存続を考えるうえでも重要な論点の一つとなる。

そこで本報告では、タシガン県バルツァム郡にみられるコミュニティ・ツェチュの実践と存続形態について検討する。ガムリ・チュ沿いの南斜面に位置するバルツァム郡は、他地域に比べて、登録世帯数における空き家(gung tong)の割合が非常に高い地域である。

バルツァム郡はタシガン・タウンから車でおよそ1時間、30の集落(dung/yi)と5つの行政村(chiwog)からなっており、標高800mから2,800mの温帯林に位置する。農繁期は、緩斜面を利用した水稲やトウモロコシ栽培が行なわれ、農閑期のブータン暦11月から1月にかけては、寺院や個人宅、空き地に建てられた仮設小屋にて、集落単位のツェチュが行われる。そもそも、ツェチュとは「月の10日」を意味し、グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)の偉大な功績を記念して行なう祭りである。しかし、ブータンの地方農村において、ツェチュとは祭り一般を指す言葉として用いられており、開催日や規模は集落ごとによって異なる。そこで本報告では、ゾンや有名寺院で行われる大規模なツェチュと区別するために、集落単位で行われるツェチュをコミュニティ・ツェチュと呼ぶ。なお本報告では、コミュニティ・ツェチュの下位分類に位置付けられ、かつ最も規模の大きいグンカ・ツェチュ(冬のツェチュ)に着目する。

報告者はこれまでに、バルツァム内で行われた11のグンカ・ツェチュに参与し、それらの歴史と実践について聞き取り調査を行なってきた。本報告は、これらの調査で得られたデータと文献資料を元に、コミュニティ・ツェチュの通時的分析を行ない、農村におけるコミュニティ・ツェチュの実践と存続形態について考えたい。

謝辞
本研究を進めるにあたっては、文科省科研費(特別研究員奨励費『現代ブータン村落社会の信仰空間における自然観の位相をめぐって』、2021~24年、課題番号: 21J22964、22KJ1713)および松下幸之助記念志財団「松下幸之助国際スカラシップ」の助成を受けました。

また本研究は、国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業『ブータン国東部タシガン県における大学―社会連携による地域づくりに関する人材育成開発支援』(2022~25年)のプロジェクト専門員として参画中に実施しました。心より御礼申し上げます。

【発表要旨③】「東ブータンにおける焼畑集落と有機農業の関係―サムドゥップ・ジョンカル県・メンチャリ集落の事例から―」生駒 忠大(京都大学大学院)

1. 背景・目的
ブータン中央政府は2007年,全国の農地の100%を有機農業に転換するという野心的な目標を掲げ,世界各国から注目を浴びてきた.中央政府が当初掲揚した2020年目標は達成ならず,現在は2035年を目指している.有機農業への転換に向けては,現行の在来農業を再評価しながら,その上に立脚するファーミング・システムとマーケットの構築が肝要である.本報告では,サムドゥップ・ジョンカル県に位置するメンチャリ集落の農業の実態から,ブータンの有機農業100%国家の形成に向けた展望を,現地在来の農業技術と農民の意識の視点から検討する.

メンチャリ集落は,焼畑耕作の実践がまだ残る地域である.さらに当該地域では,2015年から援助団体(Samdrup Jongkhar Initiative: SJI)によって地域開発と絡めた有機農業の推進が行われてきたことから,全国を眺めても稀有な有機農業普及対象地域といえる.したがって,当該地域の農民の実践と有機農業に対する意識を紐解くことで,完全有機農業国家形成に向けた課題を明らかにすることができる.

2. 方法
方法は,政策資料や先行研究,SJIの報告書等の文献調査,ならびに2度におよぶ現地調査である.2022年11月には,2日間の現地予備調査を実施した.それを踏まえ,2023年6月には,SJI職員へのインタビューと11日間にわたる現地調査を行った.現地調査は,集落内全世帯(21世帯)に対する平均1.5時間の聞き取り,篤農家に対する聞き取り,および焼畑・常畑の直接観察に依る.

3. 結果・考察
一連の調査から明らかになった要点は以下のように整理できる.第一に,集落では,少なくとも直近20-30年間は,農薬・化学肥料は使用されていない.調査時点においては,集落内で100%有機農業が実現していた.第二に,集落では,全ての世帯が村周辺の山間部で行われる焼畑耕作に取り組んでいた.焼畑の栽培作物のなかでも殊に,デワタンやサムドゥップ・ジョンカルの中心部の消費者に直接届けられるトウガラシやカブは,地域の重要な換金作物に位置していた.第三に,最も多くの村民が深刻に受け止めていたトウモロコシや野菜に発生する虫害は,年々悪化の兆しを呈するが,それは焼畑耕地ではなく家屋周辺で行われる常畑に集中している.第四に,集落の半数以上の世帯が,こうした虫害を緩和するために殺虫剤の導入を希望していた.他方で,殺虫剤の使用を希望しない理由としては,第一に宗教的な理由,第二に健康上の理由が挙げられた.

以上の一連の結果を総合すると,以下の結論が導かれる.すなわち,メンチャリ集落では中央政府が目標としている有機農業100%が実現されており,その技術的な支柱として焼畑が重要である.しかし,その有機農業100%の実現はあくまでも農民の意識と反した結果とみられる.農民は,中央政府やSJIが掲揚する「有機農業」に主体的に取り組んでいるのではない実態が浮かび上がった.

4. 謝辞
本研究は,国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業「ブータン国東部タシガン県における大学―社会連携による地域づくりに関する人材育成開発支援」に専門員として参画中に行われた.さらに,松下幸之助記念志財団「松下幸之助国際スカラシップ」およびJSPS科研費JP21J15671の助成を受けた.

【発表要旨④】オーストラリアにおけるブータン人コミュニティの形成と拡大―歴史的背景に着目して―」菊川 翔太(京都大学大学院)

本発表の目的は、オーストラリアにおけるブータン人コミュニティがどのように形成・拡大してきたのかを1960年代から現代までの歴史的背景をもとに分析することである。具体的には、2006年までブータン国内唯一の新聞社であったKuensel社の英字新聞(1968-2023)をもとに、これまであまり着目されてこなかった両国間の歴史的関係や、ブータンからの国費・私費留学および出稼ぎ移住に関する記述を整理し、どのような歴史的背景を通して2022年以降のオーストラリアへの移住ラッシュおよびブータン人コミュニティの形成・拡大に至ったのかを分析する。

オーストラリアでは1970年代に白豪主義が撤廃されると、東アジア系、東南アジア系、南アジア系など移民の「アジア化」が進展してきた。またオーストラリアは移民政策として留学生の受け入れを積極的に行ってきた。特に1980年代後半に留学生の受け入れ方針を、従来のオーストラリア政府による国費留学生中心から私費留学生中心へと転換したことで、アジア系言語を話す留学生の急増につながった(堤,2018)。本研究の対象国ブータンからオーストラリアへの国際移住は 2022 年に急増しており、2022 年 7 月からの 1年間でブータンの全人口の約 2%に相当する 1万5000人以上がオーストラリアへのビザを取得した(The Bhutanese,2023年7月30日)。特にブータンの中核を担う高学歴エリート層が大量に出国しており、公務員は約 1500 名、教師は 350 名以上が離職し、その多くが私費留学生およびその配偶者としてオーストラリアに移住したとされる。オーストラリアでの居住先は西オーストラリア州パースが多くを占めており、移住者の7割以上が当該地域を選択している(The Bhutanese,2023年4月29日)。

ブータンとオーストラリアの両国関係に関する研究は、1962年のブータンのコロンボ・プラン参加を機とした両国関係の構築に関する文献(Tshering, 2013)、1969年に西オーストラリア州パースへのブータン人学生5名の国費留学生としての派遣に関する記述(Pema Thinley, 2014)。ブータン政府奨学金、オーストラリア政府の奨学金(Australian Award)、オーストラリア高等教育機関による奨学金、私費留学の増加を整理し、オーストラリアのブータンへの教育協力を成功例ととらえる文献(Tshering et al., 2020)、西オーストラリア州パースのブータン人移民を対象に彼らが直面する問題を分析した文献(Sonam et al., 2022)などがみられる。オーストラリアは移民政策として留学生の受け入れを積極的に行っているため、以上のような60年以上にわたる両国関係の構築および留学生を含めた国際移動の展開が、2022年以降のオーストラリアへの移住ラッシュおよびブータン人コミュニティの形成・拡大に至る背景にあると考えられる。一方で1960年代の両国関係の構築から現代の移住ラッシュに至るまでの経緯を通時的に整理しその背景を分析した研究は見られない。 そこで本発表では、ブータンのKuensel社の英字新聞 (1968-2023)をもとに、1969年以降の「国費留学生増加期」、2010年以降の「私費留学生増加期」、2022年以降の「移民労働者急増期」の3期に分類し、各期の状況や背景を整理する。ブータンにおける高等教育の状況、留学生の属性、留学先としてオーストラリアが好まれる背景、西オーストラリア州とブータン政府の関係構築、ブータンにおける若者の雇用問題、ブータンにおける公務員・教育改革との関連などを新聞記事の記述をもとに整理する。それら踏まえた考察、本研究の課題、今後の展望や参考文献等については本発表時に報告する。

【発表要旨⑤】ブータン人海外留学者における準拠集団と自己認識―「準拠集団理論」とエスノメソトロジー分析からの考察―」佐藤 美奈子(京都大学)

キーワード:準拠集団理論,母国貢献意識,海外留学・海外移住,ブータン,オーストラリア

概要:現在ブータンは,若者たちの「頭脳流出」がかつてないほど著しい状況にある.本研究は,1990年代に国費で留学し,帰国後は国家公務員として国家建設を支えてきた世代 (現在40~50歳代) から,近年急増している,オーストラリアを中心とする英語圏へ私費で留学し,就職,永住を希望する世代 (現在10代後半から20代) を対象に,彼らの留学先での生活実態とネットワーク形成を調査した.そして,「準拠集団理論」(Merton1957=1969) を理論的枠組みとし,マクロな視点からはエスノグラフィックな知識を,ミクロレベルではエスノメソドロジーの手法を組み入れることにより,総合的な語りの分析を試みる.

1.目的 本研究の目的は,急激に変化する母国を背景に,「母国を出る」という経験をした異なる世代のブータン人が,異国での生活や人間関係のなかで母国や自身の文化,そして「ブータン人であること」をどのように対象化し,アイデンティティを形成してきたかを,世代変化も含めて明らかにすることである.

2.方法 方法は,定量調査と質的調査を組み合わせた.第1調査として,海外での留学を経験したブータンの国内外に在住する異なる3つの世代を対象に質問紙調査をおこなった.その結果に基づき,第2調査として半構造化インタビュー調査をおこない詳しい状況を明らかにした.

3.結論 「準拠集団理論」は,社会心理学から発展した理論である.「準拠集団」は,人の価値観や信念,態度,行動などに強い影響を与える集団と定義されるが,必ずしも当人が実際に所属する集団とは限らず,「イマジナリーな準拠フレーム」(金子2022; 坪谷2008) が自己意識や態度決定の基準,「パースペクティブ」(シブタニ2013) として機能することもある.「準拠集団」の選択と形成過程,および当該集団における「自己」の位置づけには,送り出し国側であるブータンの国家政策や教育方針と,受け入れ先である先進諸国の留学・移民政策が複雑に絡み合う.さらに本研究の結果からは,「国家貢献」では飽き足らず,むしろ個としての「自己実現」を求める個人主義的傾向が強まりつつある現状が顕在化した.その一方で,ブータン特有とも思われる現象も指摘された.ひとつは,「準拠集団」の形成傾向と,その世代による相違である.第1世代の留学者の多くは,国家公務員として国費により留学した人たちである.彼らの留学は,出国当初から,「帰国」とその後の国家貢献を前提としていた.それが,異国の地においてもブータンの伝統的な生活と仏教文化を固守する滞在姿勢や,同胞ネットワークの形成,ブータン人としての尊厳維持の強い主張を導いていた.海外在住高度人材の「母国貢献意識」をめぐっては,母国の家族をその基盤とする例が報告されてきた(吉田2023) が,ブータンでは政府や国王への感謝が特異なまでに言及された.第2世代,第3世代では,同胞ネットワークを構築することによって「集団」として「ブータン人」の絆を強める姿勢は弱まり,むしろ「個」としての自己実現と自己の経済的・社会的達成を志向する傾向が顕著に示された.同時に,「ブータン人」である自身のアイデンティティを意識する傾向が,外国の地から積極的にクエンセル等の新聞に投稿する行動として示された.ブータンの若者たちは,「外」に在ってもなお「ブータン人」であることに強いこだわりを示し,しばしば自身を「外国在住のブータン人」と呼ぶ.「国」の外側に位置する自分が,それゆえ,内側から母国を捉えてきたこれまでのブータン人とは異なる視点から母国を捉える視点をもつことを,新たなアイデンティティの基盤としている様子がうかがえた.

第2に明らかになったのは,「自己の物語」を語るブータン人の語り方である.世代を問わず,ブータンの人たちの「自己の物語」には,「社会の物語」と紐づけて語られる傾向がある.それが,「彼らのやり方 (エスノメソドロジー) 」である.「ブータン人」とは,「若い世代のブータン人」とはどうあるべきか,という「社会の物語」が前提となり,それに紐づけることで自身の今や自己の選択の根拠を示すのである.

参考文献
金子(藤本)聖子(2022) 「マレーシア留学における社会的ネットワークの外部資源としての役割」国際開発研究 第31巻第2号,pp.61-76.
シブタニ タモツ(2013)「パースペクティブとしての準拠集団」Discussion papers in economics and sociology,1301巻