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Japan Institute for Bhutan Studies: JIBS

国王主導の新都市計画「ゲレフ・マインドフルネス・シティ」とは

日本ブータン友好協会会員 須藤 伸

2023年12月17日、ティンプーにて行われた第116回建国記念式典の場で、第5代国王はゲレフでの新都市構想「ゲレフ・マインドフルネス・シティ」(以下「GMC」)を正式に発表しました。GMCは、ブータン中南部に位置するサルパン県ゲレフ市を中心とした総面積2,500㎢以上の開発計画です。GMCとは、果たしてどのような都市構想なのでしょうか。主に報道や公式発表資料に基づき、その全容をまとめました。

GMCの発案理由と新都市構想
まず、ティンプーにて行われた2023年12月の建国記念式典の演説から、国王の思いを読み解きたいと思います。

GMC発案理由の一つ目として挙げられたのは、ブータンの地政学的優位性です。南アジア地域には約20億人が暮らし、高い経済成長を続けています。ゲレフやサムドップ・ジョンカルなどのブータン南部の国境地域からインド北東部の各州を通り、インドシナ半島を抜けてシンガポールへと続く陸路は、南アジアと東南アジアを結ぶ経済回廊として高い可能性を秘めた地域であるとして、ゲレフでの適切な都市開発を行うことで投資を呼び込み、ブータンにとって大きな利益を得られる機会であるとしています。

GMC発案の2つ目の理由として、国王はブータン国内の雇用環境・人口減少に対する危機感を述べています。国内での雇用機会が限られていることにより、より良い収入を求めて海外に移住した若者や専門職が多くいることから、適切な解決策を見出さなければ、人口が減少し続けることを説き、ブータンを先進国にするという目標に向けて明確な道筋を立てる必要があることを主張します。演説の中で国王は、GMCは海外在住のブータンの人々が帰国できるようにするためのものであり、それまでは移住先で知識と技能を身につけるために頑張ってほしいと海外のブータン国民に訴えました。GMCへの外国直接投資により、若者には国際水準の給与体系と技術が提供されるとともに、多くの雇用創出が期待されます。

では、ゲレフの新都市構想とは具体的にどのようなものでしょうか。国王は、ゲレフに特別行政地域を設置し、経済ハブを作るとの方針を打ち出しました。ゲレフの特別行政地域は、必要な法律や政策を策定する自治権を持ち、行政上の自治と法的独立性を有するとしています。この特別行政地域を設置する目的は、ビジネス環境の整備や魅力的なインセンティブの提供を通じて外国からの投資を誘致し、活気ある経済ハブを創出することです。特徴としては、国民総幸福(GNH)のビジョンと価値観を基盤とする他に類を見ない経済ハブとするとしており、仏教の精神的な遺産にインスピレーションを得た、持続可能なビジネスを包含する「マインドフルネス・シティ」を作るとしています。こうしたブータン独自の文化や伝統、アイデンティティ、価値観を守るため、ゲレフに来る企業は、原則として招待制とし、審査プロセスを導入してブータンにとって最も有益な事業を選定することが想定されています。

GMCの優先分野と国王の決意
国王は、GMCの優先分野として1)エネルギー、2)接続性、3)スキルの重要性を強調しました。

エネルギー部門拡大の方向性として、具体的な調査が行われている水力発電所の建設を早急に進め、設備容量を強化する方針を示しています。国内の電気料金をこの地域で最も競争力のある価格帯にすることが、投資を呼び寄せる材料にもなると期待されています。

接続性という観点から、効率的で信頼性の高い交通手段の確立が重要です。特に国王が重視しているのは、2023年12月23日にジェ・ケンポの司式、国王立ち会いの下、地鎮祭(Salhang Tendrel)が行われたゲレフ国際空港の建設です。現在は国内線専用のゲレフ空港の1,500m滑走路を拡張することで、第1段階の拡張では130万人、第2段階では550万人の乗客の利用を見込み、ハブ空港として4大陸を直行便で結ぶ予定です。2025年に建設を開始し、2029年末までに完成すると発表されました。Druk Airは、2024年7月、エアバス社との覚書(MoU)に署名し、新たな国際路線への就航を目指して、新旅客機A320neoを3機、A321XLRを2機購入する旨発表しています。2030年に航空機の納入が開始される予定で、Druk Airはヨーロッパ、東南アジア、オーストラリアの新たな目的地への運航を目指す予定です。

インド・ブータン間の自動車道路の改善と拡張、鉄道建設も計画されています。こちら交通上の「接続」に加え、国王はデジタルインフラとデジタル接続の重要性を挙げ、携帯電話、インターネット、衛星接続を改善を求めています。そしてこれらのインフラ開発がもたらす機会を活用するためには、ブータン国民のスキルと能力の向上が不可欠であることを強調しています。

国王は「私はこのビジョンを実現するために全力を尽くします。私は自らの命を賭けます。」と、GMCに対する強い決意を示し、第3代国王の近代化への貢献、第4代国が作り出した平和、幸福、安定に触れ、それに続く自身の貢献として、「500年後の未来まで、ブータン国民に恩恵をもたらし続ける遺産を築く」ことを表明しました。

国王はGMCの目的は、投資を誘致し、貿易とビジネスを活性化し、雇用を創出するということだけではなく、より大きなビジョンとして、ブータンという国、仏教的遺産、そして子供たちの未来、この3つの宝を守ることが我々の責任であることを強調しています。

都市開発コンセプト
このようなGMC構想を推進するため、2024年10月1日から3日にかけて、パロのパンビサにあるドゥンカル・ゾンにて、ブータン・イノベーション・フォーラム(以下、「BIF」)が開催されました。3日間にわたるフォーラムには、世界的企業の20人のCEO、4人のノーベル賞受賞者、そして哲学者、慈善家、経済学者、作家、教授、ジャーナリスト、ディレクター、コンサルタント、AIおよび法律の専門家、アナリスト、プランナーなど、60か国から多彩な専門家125人が参加。総勢1,000人を超えるブータン国内と海外からの参加者があり、国王・王妃両陛下も開会式に出席しました。

GMCの都市設計は、世界的に著名な建築事務所ビャルケ・インゲルス・グループ(以下「BIG」)が主導しています。コペンハーゲン、ニューヨーク、ロンドンにオフィスを構えるBIGの共同設立者でありクリエイティブ・ディレクターのビャルケ・インゲルス氏は、BIFの場でそのマスタープランを発表し、それが「地域に根ざした未来都市であり、新旧が融合した都市となる」ことを示しています。

インゲルス氏は再生可能エネルギー、特に水力発電で電力を賄い、1)スピリチュアリティ、2)健康とウェルネス、3)教育と知識、4)グリーンエネルギーとテクノロジー産業、5)金融、6)アグリテックと林業、7)空港経済といった7つの主要経済クラスターに焦点を当てることを示しています。また、国民総幸福の9つの領域と根本的な金剛乗仏教(ヴァジラヤーナ仏教)の原則に基づき、GMCの設計には、自然環境への敬意、雇用機会提供、所得の異なる人々向けの住宅提供、教育機会の確保、健康的なライフスタイルの支援、精神性の育成、コミュニティの強化、地元の伝統の尊重、社会のニーズへの対応などが含まれると述べています。

具体的な開発計画としては、新国際空港、鉄道接続用のドライポート(陸上輸送用の荷物載せ替えターミナル)を中核施設として、地元産の竹、木材、レンガ、川石といった素材を使った6~8階建てのビルが立ち並ぶ都市建設を予定しています。周辺部の高地にはスピリチュアル・リゾートのような長寿センター、橋の形をした金剛乗仏教センター、瞑想修行場、丘陵部にはアグリテックや林業の拠点などが建設予定です。

ガバナンスと法体系
行政上の自治と法的独立性を有することが発表されたGMCですが、ガバナンスや法体系は今後どのように整備されるのでしょうか。2024年10月、BIFの開催期間中、国王は、GMC開発を主導する最高経営責任者(CEO)として、ムン・レオン・リウ氏を任命しました。同氏は、アジア各地で不動産事業を行うキャピタランド社やシンガポール・チャンギ空港など国際的な投資及び開発プロジェクトの指揮を執ってきた経験を有しています。また、国王は、GMCの取締役会(Board of Directors)のメンバーとして、リウ氏に加え、テクノロジー分野での豊富な経験を有する伊藤穣一氏、インフラ開発における多くの投資実績を持つイーアン・パン氏、チャンギ空港グループ元CEOのシオ・ヒアン・リー氏、パロのドゥク・ギャルポ・インスティテュートの設立を主導したアルン・カプール氏、国際関係及びコミュニケーション戦略に関する豊富な知識を持つローレン・チョン氏を任命しました。

伊藤穣一氏は、国王からゲレフ投資開発公社の会長(Chairman)にも任命されています。なお、伊藤氏は日本のベンチャーキャピタリスト・実業家で、マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボ元所長、現在は千葉工業大学の学長の職に就いています。

加えて、ダショー・ロテ・ツェリン元首相がGMCの総裁(Governor)に任命されました。この任命は、2024年10月1日にパロのドゥンカル・ゾンで開催されたGMC取締役会の初会合での推薦に基づき、国王によって行われたものです。ダショー・ロテ・ツェリン元首相は、GMC戦略の国内での実施を監督し、その都市開発がブータンの価値観に即し、持続可能な開発に向けた国王のビジョンに沿うよう主に国内での調整を行う役割が求められます。

GMCは、イノベーションと成長を促進する、現代的で柔軟な法制度の構築を目指しています。これを踏まえ、GMCにはシンガポールの法律を中核とする法的枠組みが採用されることが発表されました。GMCの法務担当マネージング・ディレクターであるベン・ゴウ氏は、シンガポールの法律は世界的に認められた枠組みであるため、住民や企業にとって利用しやすい選択肢であると述べています。同時に、中核となる法体系はシンガポールの法律を参考に導入を進めるものの、GMCは包括的なシステムを構築するために他国の優良な法体系も統合していくと述べました。法的枠組みの導入は、2つのフェーズに分けて実施され、フェーズ1では、安全でコンプライアンスに準拠したビジネスを確保するための事業規制と法的プロセスに重点が置かれる予定です。また、住民や企業による法遵守の行動を促進するために、民事および刑事法も制定される予定です。その後、GMCの拡大に伴い、フェーズ2では、仲裁や専門分野を含む、ビジネス界との協議により策定された独自の法規が導入されることを目指しています。

金融システム・通貨
GMCは国際的な金融ハブとしての地位確立を目指しており、富裕層向け資産運用やファンド管理、デジタルテクノロジー、デジタル資産管理戦略などの分野に重点的に取り組む方針を打ち出し、その規範として「3つのC」を示しています。GMC財務担当取締役ホーベン・リム氏によると、最初のCは「明確性(clarity)」のCで、法的枠組みは明確で誰もが理解しやすいものである必要があります。2つ目のCは共同創造(co-creation)であり、、国際的に活躍する専門家や利害関係者を招いて、強固で安全な規制システムの構築を支援してもらう予定です。最後は顧客第一主義(customer-first)で、より良いサービスとサポートを提供により、これを実現するとしています。

BIFでは、GMCのためのデジタル銀行として設立されたORO銀行の概要が明らかになりました。最高経営責任者(CEO)に就任した栢森加里矢氏は、日本、米国、アジアで20年以上に渡り、投資や経営の分野での豊富な経験を有しており、三菱商事やソフトバンクグループなどを経て、2014年にはアジア有数のブロックチェーン金融サービス企業QUOINEを共同設立しました。

ORO銀行は、GMCの居住者や投資家、および起業や新規事業の資金調達、安定した金融サービスへのアクセスに関心のある世界中の起業家や個人を対象としたサービス提供を目的としています。ORO銀行はアジア初の完全準備金デジタル銀行です。完全準備金銀行とは、預貯金の一部しか準備金として保有せず、大半を貸し出し・再投資に回す従来の銀行とは異なり、全額を準備金として保有する銀行のことです。一部の米国銀行が金利引き下げ後に流動性問題に直面し、米国史上最大の銀行破綻と6,200億米ドルの損失につながった2023年の出来事を例に挙げ、より高い安全性と安定性を提供できる完全準備銀行なら、こうした金融危機にも対処が可能だとしています。

ORO銀行では米ドル、ユーロ、英ポンド、シンガポールドル、香港ドル、日本円、オーストラリアドルの完全準備預金口座が開設可能で、米国、ユーロ圏諸国、シンガポール、英国、香港への国際送金も提供されています。なお、「ORO」という名称は、ゾンカでは「ワタリガラス」、スペイン語では「金」を意味し、強さと価値の両方を象徴しています。

ORO銀行と並ぶ先進的な取り組みとして、ゾンカで「宝物」を意味する金担保型デジタル通貨、「Ter(テール)」の導入が正式に発表されました。Terは透明性、効率性、費用対効果を確保するためにブロックチェーン技術を基盤として構築され、その価値が物理的な金によって裏付けられます。

おわりに
GMCについては耳にしたことのあり、最近のブータンの動きを象徴する話題として注目されている方も多いのではないでしょうか。第5代国王が並々ならぬ熱意を注ぐ新都市構想として、ブータン国内では高頻度でGMCの最新情報が報道されており、かなりのスピード感をもって都市や制度の整備が進められていることが実感として伝わってきます。多くのブータンの人々の声を聞く限りでは、多くが好意的に受け止めるとともに、各種報道でも多くの人々がその都市構想に期待を寄せているようです。果たして数年後、ゲレフはどのように変化し、どのような都市が出来上がるのでしょうか。

※日本ブータン友好協会『日本ブータン友好協会会報 ブータン』第165号、1-4頁より転載。